ストーリーの作り方 二稿目
スレのまとめ
ストーリーに関する話題なら何でもOK。
共に切磋琢磨しあいましょう。前スレ
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/iga/1299839156/【良スレを作るヒント】
話を聞きたい時は話し手が気分良く話せる環境を作りましょう。
【マナー】
自分のアンチしてる作品を誉める人を中傷しない。
人の作品から学ぶのに分析するのは当たり前。分析行為を否定しない。
人にレベルが低いと言うなら、自分がレベルの高い話をしてみせる。人の話が間違ってると言うなら、自分が正しい話をしてみせる。
以上を守れない人は書き込まない事。
主人公が与えられた問題を解いていくのが物語だからただ、物語の場合はパズルと違って主人公に問題を解く為の動機付けが必要
この問題を解かないと自分は死んでしまう、この問題を解けないと相手を取り逃してしまう…等々
そして、どんな問題が解けた時に気持ちがいいかと言うと、これは言うまでもなく超難関、解答不能に見える問題だな。
だから主人公に絶対解決不可能に見える問題を提示し、見事解決させると、観客は拍手喝采してくれるわけだ。
BMGとGMBどっちが有利?
さっきも言った様にこれは主人公を事件解決に向かわせる原動力であり、この点がしっかりしていないと客は主人公に感情移入してくれず、物語への興味も薄れる。つまり、物語を作るという事は、いかに面白いパズルを作り、また、観客を主人公に感情移入させるか、と言う事でもあるんだな。
絵のクソさで全て相殺だけどな
GMBが犬夜叉、りんね、らんまと考えると高橋留美子って基本テンプレ?
小池塾の考え方なのかな
んじゃあスレの主旨に沿って実作品の分析でもするか。
パイロット版や連載の一話目によくあるパターンの一つが、最初は格好悪く登場した主人公が、最後は格好良く敵を倒す物。
実作品に当てはめると、
カムイ外伝の一話では前半は主人公が刺客達の罠にはまる側で、いかにも格好悪いんだが、それが実は計算尽くの行動で、クライマックスで罠にはめられていたのは刺客達だったと分かるのが素晴らしい。
また、刺客達はそれぞれ自分の武器を披露して、いかに自分達が強いかを示すんだが、そのシーンがそのまま逆転への伏線にもなってる。
構成に無駄がない。
神のみの一話では、最初は主人公がギャルゲオタクで、ひたすら格好悪く描かれるんだが、それがことごとく後で活躍する伏線になってる。
ギャルゲオタクである事や、髪を結ぶ事にこだわる所が、後々に生きてくる。
ギャルゲオタクだからこそ、ギャルゲのパターンに照らし合わせて女の子の機気持ちが分かり、髪を結ぶ事にこだわってたからこそ、ヒロインのクセが読める。
最初は欠点や失敗だと思われたものが、後で成功する為の布石になると面白いと言う好例。
漫画での表現を放棄して、ナレーションを
詰め込んでごまかそうという姿勢が負けてる
展開も好き勝手作ってるという感じトリコはちゃんと一話一話に緩急つけて
読者を楽しませる仕掛けをちゃんと作ってる
それでいて、大枠の流れもしっかり見通してる
だから隙が無く、迷いが無くポンポン進む
隠居状態で暇ができたら片手間に趣味半分
のらりくらりやってるのと、毎週現役で勝負してる
のと、まずここで意識の違いが誌面に表れてる
後、やっぱり、あれだけ多くの人物を動かすにはどうしても神の視点が必要だと思うんだよな
登場人物達の誰1人、状況を正確につかんでないから、何でも知っている神(=作者)が、今はこういう状況だが、このキャラはこういう事を考えてて…と解説してやらないと読者が物語を把握出来ない
持ち味なんだろうけど、あれだけ鬱陶しいナレーション
やモノローグ連発するのはやりすぎ、タブーの域
読者のことを思ってない、完全に作者のオナニー状態それで好きな奴はついて来い、面白いと思った奴は
ついて来い、その姿勢じゃ読者を楽しませようという
思いが伝わって来ない
それが成功してるかどうかはさておき…w
だから、上手い演出家はなるべく全編に渡って同じ様な演出を繰り返す
冨樫のあれもそれ何じゃないか
その回その回のドキドキ感優先だからストーリーで語るには少々厳しい。
後半に進む度、全体通して見ると繰り返したりしてグダグダになっていく。
たまには、ジャンプ漫画以外の普通の漫画のストーリーテリングについて語ってるのを読みたい。
その意見も前スレで何度も出てきてたな
ストーリーについて語るなら青年誌か少なくとも月刊誌の作品がふさわしい気がする
シーズン引き延ばしにつれて変なテコ入れの連続でどんどんgdgdになって伏線が崩れて
最後は尻すぼみになっていくんだよなー
思えばいい意味でも悪い意味でもとてもジャンプ漫画っぽい俺のHEROESを返せ
当然、題材に出す漫画も、全体的に見ると歪でも、3~6巻程度のスパンで見ればよくまとまってる物でよい。それに、例として出すなら誰もが知ってる名作の方が良いに決まってるんだから、ジャンプ作品の話題が多くなるのも当たり前。
それが気に入らないなら、ジャンプの話題禁止ってルールのスレがあるんだからそっちへ行けばよい。
こんなこと考えている時点でヒットは無理。
ハンバーグの作り方と同レベル
発想が幼すぎる
教科書に載ってないマニアックな部分が面白いわけで
そういうのは興味が向いたときに色々調べてみるのがいい
やり始めるのに遅いってことはないし
知りたいと思ったらやっておく
これは歴史に限らずどの分野でもそう
興味が向いたらすぐにやる
それが大事でしょ
なんというか人間の行動原理の宝庫って感じ
人間をリアルに描写したかったら、歴史を見てみるのもいい方法だと思う
幸いその方面の資料はごまんとあるから、歴史!勉強!て思わず
ネタにするだけならネットでフラフラ部分的に調べるだけでも参考になるよ
三國志や映像の世紀とかから入ってもいいんじゃない
経験で学んでるやつは失敗や後悔ばかりだよ
「歴史から学ぶことができるただ一つのことは、人間は歴史から何も学ばないということだ」
ていうのがあるのも興味深い。
…ていうように、漫画に使えそうな名言とか信念の宝庫なので、
何かしら世界観創る系の人には歴史は役に立つと思う
様々あるからな。およそ歴史という分野すべてに興味を持てる人
はかなり物語作りにアドバンテージがあると思う。宮崎駿とか
岩明均なんかはかなり広い視野を持って歴史を見てるよね。
宮崎駿なんか左翼思想持ちながら軍オタだしww
1ページくらいしか無かったなー、小中高と全て
他に何か興味を惹くキッカケが無いとただ記憶するだけの面倒なもの、って敬遠しちゃうんだよね
教科書に載ってる内容でも、意識して読めば一応分かるようにはなってるんだけど
受験の知識として言葉を覚えさせるだけのさらっとした書き方になってるから
ただ授業受けてるだけじゃ当時の状況を頭に思い描くところまでいかないんだよね
だから自分からもっと知りたいと思わないと、すごい事した偉人っていうプラスの印象しか残らない
空白の4世紀とか、室町時代中期とか、マイナーな時代にもエッセンスは沢山埋まっている
戦国は溢れ返ってるけど縄文時代の、何も無い所から色々発見・模索していく様を描いた漫画とかどうだろう
平安貴族の時代は少女漫画が強いでしょうな。
縄文でなくて弥生時代だと安彦良和の「ナムジ」とか。ナムジ=大国主命。
出雲神話をベースにしてるけど、創作色の強い作品。
>>138
陰陽師 ざちぇんじ なんて素敵にジャパネスク
少女マンガばっかりだけどな
平将門とかも一応平安時代だからそれなりに男も楽しめるの作れそうだと思ってる
てゆうか大河ドラマにもなったしな
あさきゆめみしは少女漫画だけど平安文化が分かって面白いし源氏物語の勉強会にもなるよ
あといま歴史物でヒストリエ読んでるんだけど面白すぎwww淡々としてんのになんか引き込まれる
歴史から学ぶ=経験から学ぶだろ(笑)
歴史に漫画の書き方戦争とかあったか?
ここ、ストーリーのスレな
スーパー主人公だけどイヤミさが感じられないのは大したものだ
過酷な過去や修行描写とか、ある程度納得のいける展開だからかなヒストリエのエウメネスとか、ヴィンランドサガのソルフィンとか、歴史物では
出生がよく分かってない人間を使うタイプの漫画も多いね
物語の背景や人物がしっかりしてる上に、ある程度自由に脚色できるから扱いやすい
現実の歴史を取り入れる事で作品世界に説得力が増し、深みを与える。 例えばガンダムSEEDは背景に中東戦争を元ネタとして取り入れる事で、憎しみの連鎖ってテーマに大きく説得力を持たせてるし、
歴史とは少々異なるが、神話の要素を取り入れる事で、どことなくファンタジーの匂いを持たせている。
ついでに言えば、過去のガンダムシリーズから色々イメージやストーリーを拝借する事で、ガンダムっぽさの獲得にも成功してる。
ガンダムはもはや神話に近くなってるから、こうしたテクニックも使える。
ま、結局、世界観の良く出来たファンタジー&SFは軒並み現実の歴史をモザイク模様のように巧みに織り交ぜている。
それは多分、分からなくとも何となく雰囲気として伝わるんだろう。
もっと言えば、引用によって元ネタの雰囲気を取り入れる事が出来るのだ。
例えばNARUTOだと、
うちは関連には日本神話をベースにする事で、神代より続くドラマを感じさせるし、忍者の歴史や名称、及び先行する忍者物のイメージが所々に織り交ぜられている事で、いかにも忍者物らしい雰囲気が備わっている。
面白いのはある敵キャラに西洋系宗教のイメージを取り入れた事だろう。あれで和風ベースの世界に西洋風のキャラが混じる事になって、異質な雰囲気を醸し出してた。
ワンピースだと、言うまでもなく海賊、海軍、海にまつわる神話、そして西洋史に残る数々の暗い歴史。
バクマンは編集部と漫画家にまつわるエピソード。
ありとあらゆるエピソードや登場漫画家に何らかの元ネタがあり、それが作品世界の説得力を大きく高めている。
強引な言い方をすれば、DBとジョジョを一つの世界で戦わせてるのがこの作品。
他にも、ありとあらゆる作品を無節操なまでに取り込んでるんだが、それがギリギリ成立してる。いやさせている。
その秘訣は作者の視点だろう。
かなり突き放した視点で、クールにドライにデジタルに登場人物達のドラマを描き切ってる。
だから、もはやどのキャラも記号に近くなってて、元ネタが持っていた強烈な個性が消し飛び、パズルのピースみたいに物語の枠の中に収まっている。 これが可能なのは作者がゲームマニアだからだろう。
テレビゲームだけじゃなく、パズルもなぞなぞも大好きなタイプ。
それが物語の端々で生きている。
戦闘シーンには論理パズル的な面白さがあるし、登場する能力も非常にゲーム的。
人間ってのは元々ゲームが好きだから、こうしたゲーム性の高い作品は根元的な欲求を満たしてくれる。
超能力を持つキャラが出てくる作品は古今東西を問わず沢山あるが、ここまで能力の組み合わせや駆け引きにこだわってるのは日本ぐらいだと思う。
ちなみに、能力バトルの元祖は甲賀忍法帖だが、この時点で既に能力バトルの基本の殆どが出ているのには驚かされる。
戦いのゲーム化、チームバトル、組み合わせの妙、能力の科学的裏付け等々…。ついでに言えば、出てくる能力もその後の能力バトルで基本とされる能力ばかりなので、何だか、ここから全く進歩してないような気さえする…。
(と言うか、そうなのか)
おとぎ話を分析してみると、古今東西どこでも英雄は知恵を働かせて敵を倒してる。
DBのように強いから勝つと言うのは実は少数派。
能力バトルのように、知恵を使って勝つ物語こそ王道。
だからDBみたいに主人公が修行してどんどん強くなっていくタイプの物語は実は異端だと思う。
おとぎ話で、主人公が修行を重ねて強くなっていくタイプの作品ってのは、実はあんまりない。
英雄は最初から強いし、修行もしない。それなのに何でDBみたいな物が増えたかって言うと、これは一つに物語の長編化があると思う。
つまり、長い物語が増えたから、主人公もその中でどんどん成長していく事が出来るし、またその必要がある。
そして、昔は短い物語が主流と言うか、あんまり長い物語を語る事が出来なかったから、主人公が物語の中で成長していく様を描けなかった。
梶原作品には主人公が修行に修行を重ね、どんどん強くなっていく快感がある。
例えばジョーでは、最初は滅茶苦茶強かった力石を、通信教育で身につけたボクシング技術で追いつめるジョーの姿にはやはり興奮する。
努力に努力を重ね、強敵に追いつき追い抜いていくストーリーというのは、やはり面白い。そして梶原作品が漫画界を席巻したから、こうした力比べ物が王道になった気がする。
80年代の漫画界を席巻したジャンプ作品何て、大半が梶原の影響下にあるし…。
ただ、ぶっちゃけ梶原作品的な修行して強くなっていくタイプも、実はおとぎ話に良くある謎かけ物の一つな気がする…。
DBで強くなる過程をあげてみると、
スーパーサイヤ人になるには冷酷さが必要だと説かれるも、誰もそれになる事は出来なかった中、仲間思いの悟空が仲間が殺された怒りが鍵になってスーパーサイヤ人化。
仙人からパワーアップアイテムを奪おうと悪戦苦闘する中、いつの間にかそれが修行になっててパワーアップ…と、力を得る過程その物が謎解きになってるものが多い。
また、力を得る過程がクライマックスになってない場合、最後はどうにかして追いつめられ、知恵を使わせられる展開になる事が多い。
(ピッコロ大魔王戦、マジュニア戦等々…)
となると、こうしたそれまでのバトル物にあった知恵比べの要素を更に先鋭化させたのが今の能力バトルとも言えるんだろうか…?
今月の血界戦線面白かったわー。
今回の話を分類すると、主人公の大切な人間が危機に見舞われ、そこから救い出す為に問題を解くタイプ。
テーマは男は素手での殴り合いにどうしても惹かれてしまう。
この話が上手いのは同じシーンを意味合いを変えつつ繰り返してる事で、これが物語全体に統一感を与え、また、それぞれのシーンの状況の違いを読者に強く印象づける。
そしてこれが大きな伏線にもなってる。
主人公は最初から終わり近くまで決して左拳を使わず、右拳の連打だけで勝っていくわけだが、最後、追いつめられた時にようやく左を解禁し、強烈な一撃で相手の頭蓋をぶち抜く。
本来は左利きだが、それだと余りに強すぎるので、手加減する為に右を使っていたと言うわけだ。
ま、これは良く考えるとおかしな話だが、物語としては面白い。
また、左の一撃の前に右だけの連打を全編に渡って使っているから、最後、左を解禁した時にインパクトがある。
そして、最初と最後を同じシーンで締める所、これも良い。
短編だとこうしたテクニックは特に重要。
しかし、最も優れているのはテーマに対するアプローチかもしれない。
短い中で、登場人物それぞれの拳闘に対する想いが語られる。
糸目は「みんな何でこんな事に惹かれるんだろう?」
主人公は「友を助ける為にしょうがなくやっていたつもりが、いつの間にか自分の中にある闘争心を刺激されてしまった」
クズは「何が何でも主人公を倒せれば自分の中の闘争心は納まる」
観客は「拳闘は最高のエンターテイメントだー!」
主催者は「余りに強すぎると相手が居なくなってしまって寂しい」
テーマとは何か?
良く、物語を通して読者に伝えたい事と言われるが、そう言われると何やら身構えてしまうし、娯楽にはそんなの必要無いんじゃないの?とも思ってしまう。
しかし、テーマとは結局の所、物語を通して得られる知識や教訓、考え方の事なのだ。
例えばナニワ金融道なら、銭が絡んだら簡単に他人を信用すな! 素人はマネーゲームに手を出すな!
トリコなら、人間は美味い物を喰ってる時が一番気持ち良い! それが努力に努力を重ねた上でなら最高だ!
地獄甲子園なら、野球って素晴らしい!
といった具合に。
そしてそれがないと物語を読んだと言う感じがしない。
だからどんな作品にもテーマは存在する。また、全体の方向性でもある。
これがあるからこそ物語全体に統一感が生まれる。
このテーマを守らなかったが為に、悟空達は人造人間を生み出し、ピッコロはセルを逃がし、ベジータはセルを完全体にし、悟飯は悟空を死なせた。
そして最後にトランクスがこのテーマを守って、未来でまだ弱い内のセルを倒すから痛快なのだ。
あれに拍手喝采をあげた読者は多いのではなかろうか。
これも物語全体を通じて、読者に、何でこいつらは毎度毎度余裕こいて敵にチャンスを与えるんだ…というフラストレーションが溜まっていたからだ。まあつまり、こんな風に全体的にテーマに沿ったエピソードを配置するから物語全体に統一感が生まれるし、
最初から終わり間近まで、テーマから外れに外れ、そのせいで失敗に失敗を重ねながら、最後にテーマの重要性を認識し、それに沿って成功するからこそテーマの重要性が読者に伝わる。
DBのセル編のテーマは「生命体としての親子関係」であり「偉大な親をもつ子供が親を乗り越えること」でしょ。
・悟空と悟飯
・ベジータとトランクス
・サタンとビーデル
・コールドとフリーザ
これらを対比させて、生命体ではないものと対決させることで、生命がもつ親子という関係について物語る。
セルも生命だしセルJr.と親子だよ?強いてテーマ挙げるなら単純に「親子」じゃね?
17号がドクターゲロ殺した時もべジータがなんや言ってたし
あとコルドな
コルド大王
前述の地獄甲子園を例にとると、
これは野球って素晴らしいと言うテーマと、ひたすら野球を使って殺し合う本編が乖離してるからこそ強烈なミスマッチを生んで面白い。つまり、テーマとは必ずしも読者に伝わらなくても良かったりする。
何が原因かって言うと、制限が無いんだよ 通常、物語には世界のルールが統一されている
歴史物とかだとその時代に応じた技術、文化の可能な範囲で話を展開させなければならない
ドラゴンボールだと、一つの「気」の強さを軸に、全キャラがその条件を共有している
これは困難の解決方法が限定されている事を意味する
そういう制限のある中で魅せる解答を提示する事が、緊張→解放という流れを生み出しているんだと思う
ところが能力バトル物はキャラごとにルールが存在し、しかも物語が進むごとにルールが増加して行ってしまう
解決方法が無限に拡散して行き、作者が考えた都合の良い能力で打開する
これは知恵比べでもなんでもなく、緊張感も生まれない
ストーリーを引き締まった物にするためには、ある程度の制限が必要だと思う
>>160は>>146-157に対する反論だテーマは読者に伝えるものではなくて、物語を堅牢にするための物だと思う
読者に対して「これが教訓なんだぞ」っていう風に、鼻に付くような印象を与えてはいけない
宮崎駿の作品が説教臭くなってるって言われているのも、そういう傾向にあるんじゃないかな
テーマ一つとっても、連載ならそりゃ一本筋通すのは確かにイイやり方だが
一発勝負の読み切りならインパクト重視、見せ場自体がテーマでもなんら問題ない。
連載でもテーマにこだわる必要は感じないなあ
テーマなんて最後まで読まないとわからないし
結末のわからない状態で読んでる人間にとってどうでもいい
長文書いてる人は途中から「テーマ」と「物語のルール」を同一視してるけど
俺はそこは分けて考えるべきだと思う
ただの結論の出てない未完成で低得点の小論文だぞ
普通に読んでりゃわかるように親切に作中に描いてある、
それぞれの漫画の特徴だけだらだら長文で羅列すんなよ
ひ弱なキャラが地道に頑張っても爽快感はないし
いつも勝利ばっかじゃ「どうせ勝つんでしょ」ってなるし…
過程が大切
俺は悪役のラ王やシンみたいに破れていく男が魅力的だった。
悪の道を貫いてもキャラが魅力的だと面白いんじゃないのかな?
説教や教訓は必要なのか?DOUYO?
だらだらと説明調の漫画描きそう
この世は結局理不尽がまかり通る様に出来てるから、本音を言うとどうしても黒くなる
主人公達の唱える事は理想であって、現実に実現出来る物じゃない
ただまあ、理想を持つ事は大事だし、物語の中でくらい理想を実現出来て欲しいとも思う
能力バトルの方がなぞなぞ的な面白さがある
RPGだってどんどん強くならなきゃ面白くない
インフレで限界が来て人気なくなったら素直に終わらせればいいんだよ
なんか妙に引き延ばそうとしてだらだらやるのは俺は好きじゃない
だから物語の形式によってはこれがまずい事もある。また、能力バトルや知恵比べ物だと、主人公が力押しで勝つのは美しくない。
だから、基本的に強敵が現れた時は主人公にパワーアップ以外の方法でそいつに勝たせる方法を考えなくちゃならない。
ま、ジョジョとかだと、物語の終盤で必ず敵に合わせて主人公の能力もパワーアップするんだが、これもその後を描く必要がないからこそ出来る技だな。
この手のスレは必ず机上の連載論語る場になってガラパゴス化していくなあ
こういう技術論を真剣に喋っていく内に、だんだんと自分自身を
「プロ作家として実際に連載中に得たノウハウを語ってる」みたいな妄想態度に陥りやすい
で否定されたり気に入らないレスが来るとムキになって更に威丈高なプロ態度になり、最終的にただの意地の張り合いみたいになる。
本来、議論ってのは反論こそ大事で、全員の話を1つのテーマに集約して深めていくモノなんだけどそれはできない。なぜか?それは「司会者」がいないからw
朝から生テレビの田原みたいな存在やシステムがないから
それぞれが勝手に自己完結して排他的になって荒れるだけという
さすが便所の落書きと言った所だけど、その中でも
参考になる良い意見もあるので、荒れてもいいから続けておくれw
司会者がいないのはその通りだろうね
でもツリー型ならスレ主が司会やればいいけど、スレッドフロート型の2ちゃんじゃ司会を設けるのは実質不可能
しょうがないから、誰かが議題を出して、それにレスを積み上げていく他無いんじゃないかなでもこのスレって主張にレスしても反論がほとんど帰ってこないんだよね・・・
190の言うとおり、反論を蓄積しないと議論は深化しないのに
否定的な事ばかり言っても、面白い意見は出ないよ
志望者レベルの各々が気をつけてて公表できることは初期に出尽くした感
出なおしてこいよ細かく見てない、
部分だけ見たら良さそうなシーンではあるが、
あんな描写、最初からできたじゃん、そこに到るまでの過程が駄目、話にならない同じ幽霊なら長編漫画になるがヒカルの碁で、サイがいなくなり
久々に碁をうったら自分の中にサイがいた、そして碁を再びうつようになる
こっちの流れのほうが勉強になるよ
アニメ脚本は漫画よりレベルが低く、声や音楽などの演出があるからなんとかなるものの、
漫画だったら一発でアウトだな
その手の感情の流れ自体はお約束の一つでよく利用される鉄板だね
映画だけど今ざっと思い出したのだと
○飛行機の中で娘がいなくなった母親→娘探す→乗客誰も娘を見てない→
とうとう母親が妄想の娘を考えてしまったのではと疑われる→娘見つかる○主人公車のってる→後ろからぶつかりながら追跡してくる車→助けを求める→主人公の頭がおかしいと思って誰も助けない→自力でたった一人で戦う主人公
大雑把に似てる感情の流れだとこんなんかな
実際作品が全然違うから見たら何も似てないと思うが、
信用されない主人公を応援の部分の鉄板ネタとして
画面上ではめんまは初期から料理作ったりしてたんだし、それが仁丹以外の
人間がいる場所でなんら存在を示せないのは何かの制約かと思ってたら、
単なる脚本のご都合だったというのはちょっとなあと思った。これは実に惜しいことで、>>211のいうようにどんなに良くかんがえられていても、
視聴者に「なら最初からやっとけよ」って思わせたのは下手だったと思う。
結局、めんまが本当に居る事を証明する事が物語の核じゃなかったって事だよ
そして、そういった不自然さは物語に付きもの
そんなことはわかりきってるし、その辺は良く出来てると思うよ。まあ、視聴者の多くはやさしいからそういうご都合も空気呼んでそんなもんだと
受け入れるかもしれない。ファンなら細けぇこたぁいいんだよというだろう。。
でも、ここまでの描写で視聴者にずっと「仁丹以外の人間がいるところで
何かやればめんまは存在をアピールできるのに何故やらない?なにか枷が?」
と思わせるようなことをしてたわけだし、そのご都合主義を物語につきものだから
かまわないのだというのは甘えだと思うし、、このスレではそれを指摘するべきだと思う。
その上で、このご都合主義について、物語の中核じゃないからという理由で可とするか、
視聴者に違和感を覚えさせるから不可だとするかを個々が判断すれば良い。
自分は某かの枷を描写すべきだったと思うし、皆のいる場所で日記に新たな記述を加えて
存在をアピールできたことについては某かそれが可能になった理由めいたものを匂わせる
ことぐらいはすべきだったと思う。
不自然はつきものって
ドラゴンボールで大人ゴクウがいくら戦っても
チンコの服の部分が破けないのとはわけが違う
もういいや、どうも見方が根本的に違うらしい
メンマが本当に存在するのか否かは確かに核じゃないかもしれない。
でも、ここまでのお話で、仁丹は「メンマはおれの妄想だ」と思い続けていて、
しかし、視聴者は仁丹が他所で活動している間にメンマが勝手に実家に帰って
自分の仏壇みたりしてるのを見ていて、必ずしも仁丹の妄想ではなく、確固とした
人格であることを何度も確認しているわけだから、仁丹の視点からすれば
メンマが妄想ではなく、仲間たちもその存在を感知し得た瞬間、というわけだから
その瞬間を演出することは物語の上で大きい意味があるはず。であるならば、この瞬間までの仁丹の歯がゆい思いの描写を見てる視聴者に
「なら最初からそうしとけよ」と思わせるようなことにならないように上手くできないものか
という感想は自然なものだろうし、核じゃないから不自然でも良いんだよということには
ならないと思う。
まあ自分は>>216ほど否定的ではないけども、>>221ほど肯定的ではない。
仁丹達は十年前、めんまが死んだ事によってそれぞれ心に深い傷を負ったが、今めんまを救う為にやってる事が、その傷を癒すセラピーとなってる。多分最終的には登場人物それぞれがめんまの気持ちを知る事で救われる展開になるんだろう。
これまでやってきたのはその前ふり、つまり、登場人物達が十年前の事件でいかに傷を負ったかって説明。
要するに、この物語の肝はめんまの願いを叶えてやる事じゃなく、登場人物全員が救われる事。
だからそれぞれの悩みを聞く為に、めんまの存在が仁丹の仲間達に認知されると言う物語のスタートラインに立つまで時間がかかった。
最初からめんまの存在がみんなに認知されてたら、誰がどんな悩みを抱えてるかも分からないままめんまの願いが叶えられ、物語が終わってしまってた。
あの日見た花の名前を僕たちはまだしらないはっきりいって>>211がごちゃごちゃ説明しているが酷い話、悪い意味で参考にしかならない
キャラが救われる話ならホーリームランドを参考にした方がすごくいいって思うし
「大丈夫だ!原子炉が壊れただけだ!」
って台詞があるらしいなwのどかな時代だったんだな
結局ご都合主義によってそれはしないのかと思われてた所、最後になって唐突に核(風の)爆弾が使われたりしたわけで…。
結局、物語何てのはご都合の積み重ねの上に成り立ってるんだよね。
原発の今のぐだぐだ状況は東電が原子炉をおじゃんにしたくなかったとかね幽霊の食べるけど筆談はあえてしないとは
説得力がぜんぜん違うし、ハンターを例にだすのは相応しくないんじゃないかな
物語はご都合の積み重ねといっているがあまりにも極端
ご都合の違和感を減らすのが腕の見せ所
最初から、話はご都合の積み重ねとかいってるが
それを減らすために設定とかもってくる話を工夫するんじゃん
それにウルトラマンじゃないんだから、いきなり相手にトドメ刺しても問題無い
そして、東ゴルドー(北朝鮮もどきの国)は鎖国してる上、公然と核開発も行ってるから、突然王宮が爆発しても、何らかの開発中の兵器が暴発したんだとしか見られない
ポイントは一筆をどう使うか、一筆をさせるまでの流れ
一筆をさせるために幽霊は普通の幽霊かつ声が出せないという設定主人公に幽霊が見える→幽霊が何かを訴えているが声が聞こえず、
主人公は葛藤する、幽霊として姿が見えるだけだ→主人公はヒキで相談できる相手がいない
→相談相手がほしく、かつての仲間と信頼を回復しようとし、信頼を回復する
→実は幽霊が見えるんだ、そいつは俺らが知っている…→な、何だってー!
→信頼を回復したかつての仲間は見えない幽霊をいるものとし、信頼する→仲間が再結成
→訴えを知るために幽霊に物を持たせさせる方法をみんなで四苦八苦して探す
→方法が見つかる→不思議なペンを見つける、そして一筆→願いがわかる
→みんなでそれをかなえるための準備→準備を実行して成仏
→一瞬、見えない周りの人間にもありがとうと姿が見えた気がした
→そういえば死んだ幽霊はあんな声だったな・・・→君がいた 終わり
不思議なペンはもっといいアイデアがあるはずだ、とりあえずの妥協案
なるほどね後は、めんまが物に触れられるのはみんなの気持ちがめんまに向いてる時とか理由付けて、仁丹が追いつめられてる所で初めてその力を出すとかかね
みんながめんまの事を想ってくれたおかげで物に触る事が出来ましたーってな感じで
ただ、そうやって明確にルールやらキーアイテムやらを設定するとゲーム性が強くなってドラマ性が薄れる気がする
人間ドラマと言うより、どうやって目標をクリアするかと言う話になってしまうと言うか…
ゲーム性とでたけどまさにゲーム、あたり
>>262には幽霊の事しか書いてない
天下一武道会でAとBが戦うぐらいしかかいてないだから>>262に
例えば恋愛でその死んだ幽霊の事が好きで、なんでおまえの所にーとか
幽霊には否定的だがいるなら存在を確かめたくなるキャラとか
金が必要になってみんなでバイトをするとか勉強とか
学生のありきたりをまぜる
そうするとゲーム性が薄れる
大まかな流れにそのためのキャラ設定やエピソードを細かく作ると完成って感じ?
ストーリー作りってこんな感じだと思う
代案をだすとしたらこんなもんだな
幽霊の行動の定義があやふやだから批判がでているんだろう
これですっきり…、俺はしたw
すぐに筆談なりなんなりして自分の存在を周囲に知らせるだろう
そして今目の前に起きている不可思議で理解できない事象を理詰めで考え
全力で事態の把握・解決を図るだろう
(ってか大概の人はそうする)でもめんまだからね
あのストーリーに違和感はない
キャラ・ストーリー・設定・人物関係、これらを1つに束ねるモノとは何か?答えは三文字さ
テーマがあればなんでもオーケーなんじゃなく何をテーマとするのかこそが鍵…!
なんとなく
この後の話も読んでみたい」と思わせる余韻が必要なんだって。
読み切りだからって、綺麗にまとめすぎてもいけないってのは、目から鱗だったな。
それ編集の主観的判断
読み切り前提で読んでる読者と連載前提で読んでる読者もいるから、一概には言えない
そのキャラクターが読み切り作品のテーマの元に作られてない事が肝要じゃないかと
ドラマで頑張っているマガジンが悲惨なことに
なっている事実を知らないのか。
漫画はドラマではなく、表現なんだよ。
表現が出来てないからお前らはまるでカスなんだよ。
お前ら、ストーリーというのは表現だということがまるで
わかっていない。だからどんな内容を書こうかばかり
考えている。編集部と同じレベル。つまりカスでクズ。
そのレベルだからお前らは全然ダメダメなんだよ。
おれのレベルに達せないんだよ。
結局そのカスの編集部を納得させなきゃ
商業誌に載せてもらえないわけで、、カスだカスだカスだ!!
オレを認めない奴が悪いんだ!!オレが正しいんだ!!
ってだけじゃ何も進展しないだろ、、
結局自分は商業誌じゃ通用しない才能だって事を宣言してるだけ
日本でも電子書籍配信は近いぞ
読者が面白いと言うかどうかそれがすべて
本質を見間違うな
こんな物受けないって
でも作者は自分の作品が傑作だと信じて持ち込みを続けた
そしてようやく出版にこぎ着けると瞬く間にその事が証明されただから一番信用すべきは自分の眼だね
自分が納得出来る物を書き上げるのが一番大事
ゴッホは壮絶な自殺が付加価値になってブレイクした。
ピカソは大衆からブレイクしたのではなく当時のマスコミ先導のヒット。
>>351
子供…?何か世の中のヒットするもんに何の仕組みもないと思ってない?
漫画は面白い面白くないがわかりやすいから実力先行だろうけど、
他の芸術分野は実力以外の部分がでかいよ。時代のニーズとか。
ゴッホについてはあの時代は死んでから芸術の価値が出るのは定説だし(これについては勉強しろ)
それが大ヒットの条件に合ったんだろ
ピカソは画廊がスターを作りたくてそこで目をつけたのがピカソ。
決め手は「理解できないものを描くから」だったらしい。
多分当時はそういう作り出したスターや才能ある人が沢山いて、
その中で民衆のニーズと条件が合って大成功したのがピカソやゴッホなんだろ
いい編集も居れば悪い編集も居る
その上、人の好み何て千差万別何だから、相手がよっぽど良い編集じゃない限り、言う事を鵜呑みにしちゃいけない
ある編集がこうしろと言っても、それはその編集にとっていいだけで
他の連中にとってはまったくよくないことだってあるんだ。
編集はバカだから自分たちの考えが正しいと思ってるんだ。
しかもその考えを十年経っても変えない。
だから、漫画がダメになってしまった。
ストーリーなんてのはみずもの。
自分にとって最高だったものがうけるかうけないか。それだけだ。
技術とか理論とかそんなもので打ち負かせるものだと思ってるやつに限って
ストーリーをまるで理解できていない。
ストーリーはそんなもので打ち負かせられるほど小さく浅いものじゃない。
編集会議にかけて大勢で決めるわけだから
別に担当編集一人の好みで決めてるワケじゃないだろ、、
担当編集すら突破出来ないって事は
たぶん本当にその作品が面白くないんだよ
オレの担当から聞いた話ですが
持ち込みに来た人の原稿見て
「これはちょっとうちでは引き取れません、、」
と丁重に断わったら
「何でダメなんですか!!あんたの見る目がないんだ!!
他の編集者を呼んで下さい!!あんたじゃ話にならない!!」
と突然ぶち切れたんだとか、、
「いや、、誰が見ても結果は同じです、、どうぞお引取りを、、」
と再度言ったらもう激昂しちゃって
ロビーで騒いで騒いで大変だったと、、挙句警備員が制止に来る始末、、
でも何とか帰ってもらったらしい
その原稿は男が無慈悲に子供を殺しまくる内容だったんだってさ、、
創作だ創作だって言い張るのはカッコイイけれど、、
やっぱ最低限人に読んでもらって共感されて
認めてもらえるもの描けなきゃね、、
それ聞いて編集の人も大変だなぁと思ったよ、、
でも原稿描いた本人はそれが本気で面白いと思ってるんだろうなぁ
クズのためにおれがわかりやすく説明しておいてやるよ。
漫画のストーリーの特性
1、絵と台詞による表現なので、事実の過程を描写できる。
(これは小説では出来ないこと。文字では爆発したという表現しか出来ないが
絵があればどういう具合に爆発したかが表現できる。この特性を活かせば
漫画のストーリーがどういうふうになっているかがわかるだろう。漫画とは事実の過程の描写を
中心とするストーリー構成が求められているのだ)
2、絵は静止画を繰り返しての表現
(これは映像との違いだ。映像は事実の過程をフルで表現できるが漫画では
約12分の1カットだ。アニメでは200枚必要な描写を漫画ではその12分の1のコマで
表現しなければオーバーとなってしまうのだ。そのため事実の過程を書く際に
映像に対して12分の1の要領で表現する意識を持たなければならない。冴えないやつは
この12分の1カットのところを2分の1ぐらいでやろうとしてしまっている)
3、シリーズ化のしやすさ
(漫画の最大の武器だ。漫画はアニメや映画の数百分の1の費用で作れる。ゆえに
膨大な数の描写が可能となる。つまり20巻、30巻と続いていくこともごく当たり前なのだ。
それだけの巻数を続けようと思ったら、いかに世界観が大切かがわかるだろう)
複数の事象を構成し纏められたお話表現とは読んで字の如し
内部から外部へ出力し見せる行為
>>403は日本語を学び始めた異国の人じゃないか
ちぐはぐな文章や語彙を見れば一目瞭然だぞ
クリエイターを目指している人間がどうして
そのままの意味でしか捉えられないのだろうか。
おれが言っているのは広辞苑に載っているストーリーの
意味や表現の意味ではない。
どうしてそのまま考えるのだろうか。見たものをそのまま
語るのは小学生までだ。本質をつかめていない。
もう一度言うが、創作における表現とは一般的な意味の
表現とは異なる。
創作における表現とは、見えないものを現すことなのだ。
よりオカルトに近いし、現実的なものではない。
広辞苑的な意味を連ねたり、見たものをそのまま語ったり、
そんなだから、おれのようにハイレベルなストーリーテラーに
なれないのだ。
もう一度、おれの文章を読み返してほしい。
そして必要なことを学んで欲しい。そうすれば偉大なストーリーテラーに
なることが出来るだろう。
みんなでナメック星にいこう→べジータいたw→フリーザいたw
→ギニュー特選隊きたw→ゴクウきたw→フリーザきたw
→完伏線もひねりもないけど
それでも面白いよな
それがおれの言っている表現差なんだよ。
たとえば、「森がある」という情報を描くとき、
どんな森を描くかで差が出る。
これがおれの言う表現。
多くの人が勘違いしていて、どういう内容を書くか
ばかり考えている。問題はそこではない。同じような
筋書きで書いても、表現のレベルの差で差が出てしまう。
おれが言っているのはそこなんだ。
だが、それを理解しようとするやつがいない。ただ、叩くだけ。
だからどんなストーリーにしようかと考えるだけで表現の意味を
理解できず、ただの横並びのないようになってしまう。
なぜ、ワンピースやドラゴンボールのストーリーが売れたのか。
たいしたストーリーでないのになぜすごいのか。
もう一度、ストーリーは表現ということを考えて欲しい。
ストーリーが表現というのは間違いと言っている者もいたが、
その考え方が間違っているということを言いたい。
ストーリーテラーのおれが言うのだから間違いない。
ストーリーといっても、小説、漫画、アニメ、実写などなどの
媒体によって、驚くほどの差が出てくる。
それを同じとして考えている者が多いから、多くの者が
失敗している。
上でも述べたが、漫画のストーリー表現は
1小説とは違い、絵と台詞による表現。
2アニメとは違い、内容を16分の1でしか表現できない
3実写とは違い、リアリティは減少
この3つを考えればわかるだろう。
つまり、同じ内容を書くにても、
1小説よりも絵に関する情報で表現される
2アニメよりも省略されて表現される
3実写よりも情報のインパクトが薄く表現される
小説で有効だった心理描写は漫画ではまったく有効にならない。
漫画では常に絵を伴うので、これらの表現を絵によって示して
行かなければならないのだ。他にも小説では事実の過程をほぼ
省略するが漫画では省略すると一気にダメになる。
2の差は意外と小さい。アニメと漫画の表現には大きな差はないのだ。
つまりアニメと漫画だけはそれぞれのやり方がどちらにも有効になる。
3の実写との差に関してだが、これは大きい。
漫画では内容にインパクトを持たせることが出来ないのだ。
血が流れても、実写とアニメでの差には驚くほどの差を感じるはずだ。
このように実写とは単純な内容にリアリティをこめることが出来るが、
アニメではこめられない。この差を常に考えなければならない。
表現においては、メディアによる特質を考慮しろ、というご意見ですな。
非常に参考になります。
可逆かどうかはそのキャラや世界観、作者の考え等によるだろ・・・お前は勝手に金銭の損失に目を瞑ってるけどさw
キャラによっては財布を落としたことによる金銭の損失が、その後の人生に重大な影響を及ぼす事もあるこのイベントは可逆!このイベントは不可逆!とかいう考え方してないで、もっと柔軟に物語創れよ
でも「日常」でゆっこが財布をなくしたけど次回ではまるで「なかった」かのように振舞ってるから
ある意味、可逆なんじゃないかと思ったんだ。もちろん物語を書くのにこんな概念はあまり必要ないんだろうけど
なんで「まどか☆マギカ」が大ヒットを記録できたのかって考えてたら
本来、可逆な物語構造の魔法少女というジャンルであえて不可逆なストーリー進行にしたところが
重大なヒット要素だったのではないかと推測してるんだ。
話にゴールという終わりが存在するのか、それとも始まりに戻ってくるのかで
物語の作り方ってぜんぜん変わってくるんじゃないかなと。
ググってみたら、このサイトでも物語の不可逆性のことが挙げられてた
とりあえず大抵の物語には二つのポイントがある
まず、主人公が事件に巻き込まれる(乗ってた船が沈む、殺人鬼に追われる等々)
これが第一のポイントで、そこから主人公が元の日常へ戻ろうとするのが物語
で、大抵の場合、途中で主人公にある選択肢が現れる
一つは自分は助かるが誰か(友、恋人など)を見捨てる行動
もう一つは自分も死ぬかもしれない危険をおかして、その誰かを助ける行動
ここが第二のポイントで、大抵の場合、主人公は後者を選択し、最後の決戦が行われる事になるこの二つが言い換えれば、可逆、不可逆ポイントかねー
まあよくある創作論だけどね
考え方自体は間違ってないからそのまま突き進むがよろし
新しい強敵が現れても一部は既存の登場人物たちと関係を築いてレギュラーになったりと
そういう観点では「不可逆」であるといえる。別にDBを自体を批判したいんじゃないんだ。
あくまでも「ストーリーの作り方」として考えた場合、強敵が出現→修行して打ち勝つパターンの繰り返しで
ループ状態に陥っているバトル漫画が打ち切りになる理由としてこういう背景があるんじゃないかと思ったんだ。
もちろん個人的な考えだから色々と間違ってると思うので、みんなの意見も聞かして欲しいぜ。
別にオレは453の考えが間違ってるとは思っていない
日常は見てないから知らんけど、ゆっことかいうキャラがサイフを落としても
なにも「なかった」かのように振舞ってるなら確かにそのイベントは可逆だろう。その「ゆっこ」とかいうキャラの中ではな!
まどマギも見てないから知らんけど、ざっとあらすじ見た感じストーリー進行も確かに不可逆だろう。「まどマギ」というアニメの中ではな!オレが気になったのは449の文章で、
世界観やキャラを無視してイベントそのものに対して可逆か不可逆か決めつけていた所だ
「サイフを落とした」「友達が死んだ」
これらのイベントは世界観やキャラによって可逆にも不可逆にもなり得るという事を言いたかっただけ
別に難しい話じゃないよ
読者からすれば「新しい財布を買ってカードも発行し直せばいいじゃない」という些細な問題でしかないし
そりゃ前提条件が存在すれば意味も変わってくるが、漫画の1ページ目で「やべ、財布落とした」と主人公が嘆いていても
読者的には「ふーん・・」の一言で済まされちゃう。重要なのは「読者の認識に対する影響力」なんだよ、キャラがどうこうではなくて。
漫画内の登場人物的にはささいな損失でも「不可逆」な問題だが、他人である読者にとっては可逆の許容範囲内なわけだし
やはり読者に「対して」強いインパクトを与えるには「読者の認識に対して不可逆な物語の展開」が必要なわけ。
あと損失の埋め合わせの仕方にしても「事務的」または「冒険的」かの違いが挙げられるね。
お金で買えるのものは時間をかければ復元可能だが、人間関係ってのは自発行動をとらない限り元に戻らないし。
世界観の設定によってイベントの意味が変わるのは当たり前だよ。
設定というのは「この世界における○○の損失は可逆/不可逆である」というのと同義語なんだし。
そう考えるとSF世界って本来不可逆な物事が可逆になった世界とも言えるね。
ワロタwww読者が些細な問題かどうか判断するには、その物語の世界観やキャラを把握しなければならんのだがw
世界観やキャラっていうのが、お前のいう前提条件って奴だ。そして、前提条件の存在しないマンガなんて無い
異世界はもちろん、現実を舞台にしてても「現実世界」という前提条件の下で物語は進むんだ
前提条件を考えないで勝手に読者の気持ちを決めるんじゃねえw
重要なのは「読者の認識に対する影響力」で、キャラがどうこうではないとか言ってるけどさ
「読者の認識に対する影響力」を左右するのがキャラなんだよ
お前はどう思ってるのか知らんが、可逆不可逆を決めるのはどれだけそのイベントが物語の中心に関わってるかだ
物語の中心とはすなわち主人公のこと。つまり、主人公にとってどれだけ重要かでそのイベントの可逆不可逆が決まってくる
漫画の1ページ目で「やべ、財布落とした」と主人公が嘆いていても、読者の認識に対して不可逆な物語の展開は可能なんだよ
てかね
前提条件が存在すれば意味も変わってくるとか、世界観の設定によってイベントの意味が変わるのは当たり前とか言っておきながら、
それらを無視して可逆不可逆を語るのは何故?w
お前の文章の中でこれが一番よくわからんwww
多分449が言いたいのは
修復不可能なイベントが起きてはじめて、読者を引きつけることができるってこと
ここでいう修復とは、完全に元の状態に戻るってこと
修復不可能なイベント=不可逆
修復可能なイベント=可逆現実世界が舞台で、主人公にとってサイフがそれほど重要で無い場合を考えると
サイフが落ちたところで今後なんら支障はない。よってこのイベントは可逆的になる
しかし、サイフではなく巨大な隕石が落ちたらどうなるだろうか?w
現実世界が舞台である以上、そんなもんが落ちてきたら主人公の人生に多大な影響を及ぼす。てゆうか、主人公の人生が終わる
よってこのイベントは不可逆的となる
読者にとってどちらのイベントの方が気になるかっていうことだな。ちなみに・・・
可逆的イベントなのに、不可逆的に見せることによって読者を騙すことは可能だ
ヘタクソな奴は大抵読者に「なんだ・・・結局そうなんのかよ」という感想を持たれてしまう。気をつけろ!
あと訂正しておく
>>461
×前提条件の存在しないマンガなんて無い
○前提条件の存在しない物語なんて無い
「財布を落とした」展開で話が面白くなる可能性はあるが、それはあくまでも主人公の慌て具合に読者が同感したり、
損失をきっかけとした出来事の連続が面白いのであって、イベントが「財布を落とした」でなくても成り立つから例題としてあげたんだ。
本質的に考えて物の損失が「不可逆」であるとは自分は考えない。
キャラにとっても読者にとっても「不可逆」であるのは「印象または信頼関係」であると言いたかったんだよ。
大体、財布に代替のきかない大事なものを入れておくなって突っ込みたくなるよ。あと同じ「不可逆」なイベントでも「選択肢」が発生しないと面白くならないね。
巨大隕石が落ちてくることに対して主人公たちは何もできないんだし。
また突っ込まれそうだから行っておくけど巨大隕石が落ちると確定した後でも主人公たちは行動を選択することは可能だが
それは「死ぬのことに対する準備」みたいな巨大隕石を核戦争に代替しても成り立つので
イベントが巨大隕石である必然性がない=物語の本質ではないということ
だから結論は「キャラクターが選択肢を迫られる不可逆なイベントが存在する物語」が理想像ということになる、個人的な考えでは。
【キャラにとっても読者にとっても「不可逆」であるのは「印象または信頼関係」である】これがわかっていながら、何故「財布を落とした」展開で主人公をとりまく人間関係が変化する可能性を考えない?
物の損失はあくまでもキャラクターが動くきっかけに過ぎず、その後どう動くのかはそのキャラ次第だ
周りからの信頼を無くして孤独になるかもしれないし、バレない様に上手くごまかし続けるかもしれない。キャラ次第じゃ殺されることだってあるだろう
お前はサイフを落としたことによって主人公が殺されたとしても、「財布を落とした」というイベントが可逆的でしかないと主張するのか?
前提条件を考えずイベントごとに可逆不可逆を決める・・・これがいかに自分の世界を狭めているのかわからんか?www
あとイベントの必然性についてだが
個人的にイベントの必然性というのは作者の力量にかかってると考えている
核戦争と巨大隕石。人が大量に死ぬというたった一つの要素に限って言えば似た様な展開だろうが、違うイベントである以上違う魅力・展開が必ずある
2つの違うイベントを同じイベントとしてしか見れないのは、のび太がしずかちゃんの風呂場ではなくジャイ子の風呂場に行ってしまう程危険なことだぜ?
物語る者なら、どんなに些細な違いでも見いだしてその違いを上手く活用すべきだ
ついでに・・・
「本当の意味」とか「本質的に考えて」とか「物語の本質」などという
人によって多いに解釈が異なる言葉を使う場合は、その言葉の定義を記してくれるとありがたい
今のままではどう解釈していいのか理解できん
ttp://www.feel-stylia.com/rc/creative/2006/10/post_14.html
マシリトが、ね
脳天ピーカン頭冴えてだよ
ハンタやトリコもそうだけどさ
ドラゴンボール改を見るとあのストーリーはハナからワクワクだけが目的なんじゃないかと思えてくる
ギャップ
ですね
自分が考える「本質」っていうのは簡単に言えば「その設定でなければ成り立たない」ということ。
「財布を落とした」イベントで友情が築けたりするのは可能だよ。
でも「アイスをおごってあげた」とか「一緒に野球をした」でも友達を作ることは可能なわけだから
イベントがそれである必然性、つまり読者からすれば「別に財布である必要なくね?」ってことになる
すなわち物語の結末が「友達ができた」場合、その理由が「財布を落とした」だとインパクトがない
もっと合理的に「やっぱりそうなるよね」って感じられる展開を採用したほうがしっくり来るわけ。
設定やキャラの性格、または読者の感性によってはイベントが「可逆/不可逆」のどちらかに転じてしまうような
曖昧な展開を物語のターニングポイントに持ってくるのは問題があるんじゃないかと思う。
「ぶっちゃけ少しあの展開でこの終わり方は強引だったよね」と読者に思われるのもなんだし。
クソワロタwww可能なのかよwwwコロコロと主張が変わる奴だなwwwww
言っておくが、イベントの可逆不可逆と物語のある結末を導くことの得手不得手は全く別の話だ
ちゃっかり論点のすり替えしてんじゃねー
漫画に限らずだけど最近のストーリーって流れが短絡的だよね、特に動機付けかな。
あれしたい、これしたいはしっかりあるけどそれを繋げる事が疎かみたいな感じ。
ほんとに色んな漫画見てる? 各誌の看板タイトル類に関してはかなり同意ではあるんだけどさ。
最近の若い奴は系の言及は意味が無くないかな?
サザエさんだって実は変化してる
登場人物が何らかの教訓を学ぶとかね
ただ、それはほんのちょっとした変化に過ぎないから、次の回になればリセット出来る(その教訓を学んだ者がレギュラーキャラじゃない場合は、リセットの必要すらないが)DBだってそう
章ごとに登場人物それぞれの関係性は激変してる
そしてDBが優れてたのはやっぱりプロット
ベジータ戦で悟空達が窮地に陥っては乗り越えていく様は今見ても面白い
よくDBが面白いのは絵柄のおかげだって言ってる人が居るけど、絵何て面白さに大して寄与しない
ストーリーがつまらなかったらどんなに絵柄が優れていてもつまらない
それはアニメ版の原作回とオリジナル回を比べてみれば一目瞭然
可逆不可逆がポイントってのは中々いいとこ突いてるけどね
物語には始まる前と終わった後で変化が起きてないといけない
だからDB、NARUTOなど、原作付きアニメのオリジナル回はつまらない
レギュラーキャラに変化を起こせないから
物語的にフラグってどの程度重要なんだろうか
「おれ、帰ったら結婚するんだ・・」
「殺人鬼が紛れ込んでいるだと!? くだらん、私は部屋に戻るからな!」
フラグを立てた登場人物が次のページで死体になって出てきても驚くことはなく、むしろ納得ができる展開だったりする
でも何で「フラグを立てたから」という理由で結末が納得できるものになるのだろうか?
主人公が敵の本拠地にいきなり乗り込み、ボスをぶっ飛ばす展開を書いてはいけないというルールは存在しないが
読者は決して納得しないだろう
もちろん最終的には主人公が勝つのがお約束なわけなのだが過程を飛ばすことはできない
つまり「過程=読者が納得できる理由付け」となり「フラグ」というのは「繰り返し使われ定番と化した過程」となる
過剰に暴力を入れたり残虐ネタやお涙頂戴ネタを入れると
変なのがたくさんよってきてそのうちシャブ厨みたいに要求するからな
そういう連中に媚びているうちにだんだん変な方向に行ってしまう
ワンピもそんな感じ
DCコミックのように常にリセットしたり初めから薄味の演出にしてると
バランスが取れるけど
鳥山もドラゴンボールをだんだんソフトなギャグ路線に変更していって
うまく着地できた感じ
あのままワンピのように暴力路線に行っていれば今の鳥山の地位は無いだろ
主人公をひどい目に遭わせれば遭わせる程面白いって思想が徹底してて、とにかく主人公がヘヴィーな状況に追い込まれる
それも、ただヘヴィーな状況に追い込まれるだけじゃなく、今まで共に戦ってきた仲間達が敵になるって展開だから、精神的な辛さも半端ない
前半で登場人物達の掘り下げや関係作りをしてきたのが、ここに来て滅茶苦茶生きてる
ストーリーさえよければ絵が下手でも面白い
逆にいくら絵が上手くてもストーリーがつまらないと普通の読者は読まない
ま、絵も重要だけどね
特にDBの様なアクション物の場合は
絵が神でもストーリーがゲフンゲフンだったらちょっと読んでも最後まで読んでもらえない。
コンテンツ商売としてはまず「ちょっと読んでもらう」ことが最重要。
有象無象から突き抜けるにはストーリーが必要だけど、有象無象と同じポジションにまず上がらないとな。
ボコボコに虐げる宇宙人と
戦うことで高揚感を感じるとか死んでもドラゴンボールで復活できるとか言いながらも
しっかりと弱者の盾になって戦うゴクウのかっこよさ
いまどきの漫画は何やってるかよくわからん
そいうのを最近の絵柄みたいに編集もいうんだよね単純明快をやったら手抜きとか密度がないとかヘタとかいうし
読み終わったら同じ映画や漫画、小説、シナリオを、淀川長治が言うように10回以上読めばOK
そうすればシナリオは書ける
今読める文章読本はできるだ読んどけ
正しいと思うのも間違ってると思うのも全部読んどけ
ベスト3つでもいい、おねがいします
Amazonで人気なのは大体買った
平易で分かりやすかった
ありがとう、その三人の↓を買ってみようと思う
「イノセンス」METHODS押井守演出ノート
他力本願―仕事で負けない7つの力
脚本(シナリオ)通りにはいかない!
神話の練習帳 物語作者になるためのドリル式ストーリー入門他にもこれは読んでおけというのがあったらご教授下さい
シリアスな笑い、イヤボーンの法則等々、ここから生まれた言葉も多い
休載と手抜きの多さは不満だが、読めばやはり面白いし、これだけ面白いなら休載もしょうがないなと思えてしまう
そして、この漫画の本質、面白さの種は何かと考えると、ドッキリだと思う
つまり、読者にこれからこうなるだろうと予想させて、裏切る
それが心地いい
人間ってのは実は気持ちよく騙されたい物で、この漫画はその心理を上手い事突いてるこの漫画で頻繁に使われるパターンの一つが、
王道的展開を用意して、外す事
読者はこれまで読んできた作品の記憶から、こういう展開が来たら次は大体こう来るって知ってるから、その予想が外れると、新鮮で気持ち良い
そして作者は既存作品を良く研究してて、王道とは何かを熟知してるから、王道に見せかけた上で外すのが上手い
そして展開が読めないからこそ、次に何が起こるか分からないと言うスリルが生まれる
スリルは読者を物語に引き込むのに最も重要な物の一つで、これが優れてるから、この漫画は読者の目を釘付けにするま、一言で言えばミスリードのテクニックが優れてる
そして、読者を騙すのにもう一つ必要なのは、もっともらしいディテール描写
使いもしない設定でも、詳細に描写しておく事で、これから使うんだろうと読者に思わせる事が出来る
同作者のレベルEはこれが上手かった
カラーレンジャー編では使わない設定を事細かにもっともらしく描く事で、読者に巧みにミスリードさせた
例えばカラーレンジャーの呪文や魔王配下の軍団の設定とかね
あれを読んだ時、読者の殆どはこれからこの呪文を使って魔王軍と戦うんだろうと期待したろう
ただ、これには欠点もあって、まず第一はその設定説明が丸々無駄になってしまう事
もう一つは読者への肩すかしになってしまう事
例えばカラーレンジャー編では実際に呪文を使って魔王軍と戦う姿が見たかったなーと思った読者も多いだろう
だから実はあれは期待はずれの話でもあるのだ(私見だけど、その期待に応えたのがハンターのGI編とキメラアント編だと思う)
経験と技術、頭の中で構成していく能力、それに知識がとてつもなく必要しかもただ知識を使うのではなく「こうきたか」と思わせるのはセンスがいるんだよな
王道を知ってるからこそ王道から外す術を知ってる
マクバク星人→キメラアント
カラーレンジャー編の魔王→メルエム
だよね
レベルE描いてる時にやりたかったネタをハンターで消化してる感じか
ガンツやハンターの様に意味のない伏線や設定を出された方が先が読めなくてスリルがある ガンツのストーリーも、実際にはちゃんと端々に伏線が張られた上で展開してる
しかし、生かされるのは大量に張られた伏線の内、ごくわずかだから、先が読めない
幾つもの謎を握っていながら、雑魚敵にあっさりやられてしまう仲間
ラスボス然として登場し、何度も主人公達を窮地に追いつめながら、途中であっさり全滅する敵集団等々、ガンツには普通だったら絶対あり得ない展開が多い
これが成立するのも、根幹にしっかりしたプロットを用意した上で、ミスリードという目くらましをかけてるから
そしてこういったお約束破りの展開があるから、この漫画はスリリングで読者の目を惹き付ける
略してミスペク
逆にストーリー凝ってたって売れないのもたくさんあるんだから
人気とるためにはストーリーってのは、さほど重要じゃないんだろうとは思うし
ストーリーに凝るのなんて大変な割に人気面では成果少なくて効率悪いと思う
単調なものを面白く書ける人と難しい事を面白く書ける人
でもそれ言っちゃこのスレの存在意義がなくなりそう
一例として、犬夜叉にそんなキャラがいたとおもいます
こういった描写で成功というか、面白いと思ったことありますか
ラスボスのワイズマンは水晶玉持ってたけど
個人的にRが一番好きだったな
俺自身はお約束のひとつとしか思ってなかったら興味深い
敵がヤる気になったら、簡単に奇襲で潰せるんじゃないかと
あえて生かして泳がしているにしても、理不尽に思えるからでしょうか
敵の同行を探ったりストーカーしたり
そういう奴らは大抵詰めの甘さでやられちまうけど
やはり水晶で一方的にみられるのが気に入らないです
索敵合戦で互いに正体の片鱗を探り合うのが個人的に好きというのもありますが
例えば、相手が監視カメラなら、
主人公陣営が見られているのを知っててそれを逆に利用するような
テンプレに捉われる事はないよ
ハンターのGI編面白いなー。
GI編が特殊なのは、二つの筋が用意されてる事だろう。
一つは、ゴンの父親が作ったゲームであるGIをクリアする話。
もう一つは、ボマーに命を狙われ、倒す話。
物語全体の流れとしては前者だけでも良かったが、それだけじゃつまらんし、この漫画のテーマである差別意識との対決も描きたくて、ボマーを出したって所だろう。
そしてボマーとは、ネットゲームにおけるお約束、プレイヤー同士の衝突、妨害、悪意を持ったプレイヤーの象徴でもあると思う。
ボマーとゴン達の戦いは、ゲームを真っ当に楽しんでる者と、制作者の意図しない、それどころかマナー違反なやり方で楽しんでる者との対決でもある。
だから、ゴン達がGIの中で唯一制作者の狙い通りに楽しんでるプレイヤーである事が生きるし、
邪道なプレイをしてる二大勢力をボマーの餌食とする事で、ボマーを邪道プレイヤーの権化としたんだろう。
前述の通り、ゴン達とボマーは対照的な存在として描かれている。
ゴン達は真っ当なプレイヤーであり、他人と助け合う良い奴ら。
ボマーは邪道なプレイヤーであり、他人を食い物にする事しか考えてない極悪人。
それが一番良く現れてるのが、奇運アレキサンドライト入手のエピソード。
他人を食い物にする事しか考えてないボマーには他人を助けなきゃ入手できないカード何て想像も出来なかったが、ゴン達はふとした思いつきから容易く手に入れられた。
そして、ゴン達とボマーが衝突せざるを得ない状況作り。
これも上手かった。
知り合いを殺される。持ち物を狙われる。目的がかち合う。親の遺産であるGIを汚される(まあジンはまだ生きてるが…)
どれも対決の理由としては今一弱いんだが、それらが集まる事で、こりゃ衝突せずにはおかないと言う状況を作り出してる。
欠点と言えば、GIに頼らずとも現実世界で大儲け出来る筈の除念師が何故かGIにいて、何故かカード買い占め組に入った事だが…、これに突っ込むのは野暮と言う物だろう。
物語を作っていると、どうしても繋がらないピースが出てくるし、それを繋げるにはどうしてもこういう滅茶苦茶な存在や展開が必要。
この手のミスを見つけた時は、まあ他の部分で楽しませてもらったんだし…と目を瞑るべきで、決して文句を言っちゃいけない。
このレイザーが過去どうしようもない犯罪者だったのが、ジンと出会った事によって救われるってエピソードは、GI編序盤のビノールト(ハサミ男)がゴン達に出会った事で救われたエピソードとかけてると思う。
ここら辺、何気に上手い。そしてこのレイザー戦で大きな役割を果たしたキャラの一人がヒソカだが、こいつは実はライバルキャラのようで、要所要所でゴン達を助けてくれる、実は大いなる味方キャラでもある。
その目的が最終的にゴンを殺す為と言う事で、その構造を見えにくくしてるが…。
そして、ジンがゴンに試練を課す父親だとするなら、ヒソカはゴンを見守り、助けてやる母親的存在。
作者が意図したかは知らないが、ヒソカの中性的な顔立ちもその役割を果たすのに一役買っている。
ゴンが気絶した後、ゴンの望む完全なる勝利の為にと一肌脱いでやるシーン何か、非常に母親的だと思う。
ビスケはGI編の華。
この漫画に足りなかった女っ気を見事に埋めた。
多分、この作品がヒロイン不在なのは作者も気にしてたんだろうが、かといって恋愛対象として出すのはゴン達に性欲がないから無理。敵役として出しても男が女をいたぶるのは絵的によろしくない。
と言う事で目を付けたのが師匠ポジションだったんだろう。
これなら恋愛抜きで物語に深く絡められる。
(ビスケが最初ゴンとキルアの中を引っかき回そうとして失敗したのが作者の自嘲と考えると面白い)
そして、キチガイ程強いハンター世界じゃ、普通の女じゃ生き残れない。なので、2、30代ぐらいの美人じゃなく、外見ロリの五十代と言う狂ったキャラにしたって所だろう。
この狂ってるってのが重要なファクターで、以後、ハンターにはどっか頭のネジの飛んだヒロインがぞろぞろ登場する事になる。
座敷女みたいなパームや、盲人で軍儀に負けたら死ぬと決めてるコムギ、悪魔に取り憑かれてる様なアルカ等々…。
狂ってるからこそ、メインキャラ達の間に割り込める。
ま、どっか狂った女ってのはそれまでにも居たんだけどね。
ただ、メインキャラの間に強引に割り込んだり、心を引っかき回すような力をもった奴は居なかった。
GI編のビスケ、蟻編のカイト等々。まあそれはこの物語がビルドゥングスロマンだからだろう。
ゴンは親を乗り越える事、キルアは親を殺す事(否定する事)が最終到達点。
そして、クラピカとレオリオが最初はメインキャラっぽく出てきたのに(今も扉絵ではそういう扱いだが)、ハンター試験後、がくっと出番が減ったのもその為だろう。
あの2人にはこれ以上成長する余地が少ない。
つまり、ビルドゥングスロマンの主役足り得ない。
ヨークシン編以降、毎回差別意識の塊のような敵キャラが出てきて、そいつにゴンが立ち向かうって構成になってる。
この二つが優れていれば、大体面白い駆け引きは描ける
冨樫氏を過大評価しすぎではなかろうかww
ドッチボールの時のヒソカなんて俺の友達の間では「なんで良い仲間になっちゃってんだ?映画版のジャイアンかよ!?」って突っ込んで笑ってたし
この作品の最大の魅力は何かと言うと、その密度の高さだろう。
キャラ、メカ、世界観、ストーリー、あらゆる点において、普通の映画の倍以上のアイデアが投入されている。
だからどんな端役、メカにも魅力があるし、どのシーンを取っても面白い。
ま、それはジブリ映画全般に言える事だけどね
そして、だからこそ何度やっても視聴率が取れる
群像劇として良く出来てる
この作者のえらい所は、人間は利害で動く物だって事を良く分かってる事で、それが作品に良く現れてる
どのキャラにも目標が設定されていて、それを踏まえた上でそれぞれの利害の為に対立したり協力したり利用しあったりする様になってる
デスノートもゲーム的な作品だったが、バクマンも舞台が現実的になっただけで、よくよく見るとかなりゲーム的に作られてる
>どのキャラにも目標が設定されていてその目標がそのときの気分次第でコロコロ変わるじゃん
俺はバクマンが面白くない派だがこーゆー理由だな
漫画家としててっぺんを取る
叔父を越える
自作品をアニメ化してヒロインと結婚する
これらのおかげで、物語が多層的になるし、色んなドラマを作れる
キャラの目的目標が変わるのは漫画のタブー(死語?)だな
まぁ別にバクマンなんかマトモに見てないが
だって志望者に買わせるための漫画(参考資料的)じゃん
ほとんどの志望者は漫画の仕事風景をあまり知らないから
アシ経験者がデビュー率高いわけだし
アイデアの密度が大事とか、コマ割りが大事とか、絵が大事とか、ストーリーが大事とか、○○が大事、重要、大切。みたいな理論は描く上で糞の役にもたたない
これらを料理に例えるならカレーはルーが大事とか言っているようなもので、何をどんな分量で入れればどんな味になるのかは一切示されてない
このスレはだいたいそんな感じ
留意すべき事項ってなんだ?どうでもいい話だが
ボーンアイデンティティ1でCIAの殺し屋(クライブ・オーウェン)が
小さい少女を連れているシーンがワンカットだけあるのだが
その少女について全く説明されていない
んで最後クライブ・オーウェン死ぬんだけど
俺的に感想を述べると、あの少女はどうなったんだろうって、何だったんだろうって思った。
要するにレオンみたいに子連れ狼状態の殺し屋、がクライブ・オーウェンだった
ってことなんだろうけど。
あのワンカットで何の説明なしでも十分設定が呑みこめてしまう。
クライブ・オーウェンは適役だが、本当はイイ奴だってことが容易に想像つく
だからマット・デイモンに殺されるときにちょっと深みが増す
まあだからと言ってボーンシリーズは糞なのに変わりはないのだが
でもお前ら漫画であのレベルの話をつくれるのか?
まじぶっころすぞ
以上
描いてる人は「このキャラクターはこんな時どんな行動を起こすだろうか」と
キャラクターの存在を媒介にして一歩一歩ストーリーを模索してる人だ
本来ルートは無限にあるんだからストーリーを構築する論理なんぞ必要ない
キャラクターの行動原理がルートを決めるのだから論理ではなくそれが出発点になる
ストーリーって特別な感じで言ってるが要するに「時間の流れ」に過ぎない
「そいつらが過ごす時間」って一体どんな時間だろうかってのを考えるだけ 例えば、ある公園を舞台にストーリーを考えろ。ってなったとき
「どう話を運べば盛り上がるか」なんて話は本末転倒でまったく意味がない
ブランコを使おうがベンチでキスしようが、盛り上げるルートは無限にあるんだからどれが正しいかなんて無い
じゃあ話運びを決めるのは何かと言えば「キャラクターの性格」だということ
公園で「こいつはきっとこんな行動を起こすだろうな」というキャラの性格と
逆に「こいつはこんな行動は起こさないはず」という消去法
この2つでキャラの行動原理を確立することでストーリーラインが一本道に絞られてくる
「公園のベンチでキスをしたい主人公」の行動目的をまず決定して
そこからストーリーの構築が出発する。ストーリーの作り方から物語が始まるんじゃない
作者がキャラをストーリーを従わせるんでなく
ストーリーの分岐はキャラクターが決定権を持つ
それぐらいキャラクターに意志を吹き込め。ということキャラクターが進む道をあらかじめ作者が設定するようなストーリー構築法は
読者側も作者の意図が透けてみえてしまってキャラクターへの感情移入を阻害しやすい
作者とキャラクターが二人三脚で、一寸先は闇の状態でストーリーを模索してる姿勢が重要だ
すべては読者が共感できるかどうかにかかってるとしか。
あと「ブレる」のと「意志が揺れる」のは少し違ってて
「自分の戦いが本当に正しいのかどうか」と揺れる主人公はブレてない
回転するコマと同じで揺れてても芯は1つで、それを中心軸に揺れているだけブレるというのは芯が2つに増えたりして、あっちやこっちに行ってること
やってる事と言ってることがチグハグになってたりする奴のこと
ありがとうございます。
「あれ? 自分、言ってることとやってることが違うぞ」と思ったことが何度かあったので
(即物的な反応をしてしまう)。悪役(対立する側)はブレない方がいいと思うんですが、
主人公は葛藤させないとドラマにならないですね。
主人公とは基本的に「恵まれてる者」だから
葛藤したり迷ったりしても都合よく道が開けるようになってる
一般人である読者に共感できるように殺人行為に悩みを持たせる
なおかつ血に汚れないまま敵を制圧できる力を持ちたい・・という
都合のいい考えが産んだキャラクターが少年マンガの主人公
だからこそ逆に敵を殺す事になった時に話が盛り上がったりもする「普通の性格に最強の能力」←これが主人公の定義
もちろん、ここでいう“普通”とは一般人である読者が共感できる範囲のこと
どうやってキャラクター作るんだって教えてくれ
壱 ドラマとは事実ではなく、真実の人生を描くことである
弐 感動がなければドラマとは言えない。人は感動を買いたいものである
三 ドラマとは変化である。悪が滅んだり、ホームラン打ったり、成長していったり
四 ちゃんとした動機がなければしらけるだけ
五 人物が描かれていなければドラマではない。リアルな人、リアルに、夢や妄想ではなき人、それは人
六 波乱万丈をドラマと間違えるな
七 ドラマは観客のためにある。観客を忘れるべからず
八 新しきこと、珍しきこと、面白き事は必須条件。興味をそそるネタ(題材)が必要
九 説明ではなく描写せよ。セリフで説明せず、人物の背景や、状況を描写せよ狩撫麻礼
狩撫麻礼
十 視点を持つことが作家である。私はこう考えたという見識が作家には必要。
が、押井作品では逆にC→B→Aとなることが多く、まず『世界観』ありきでそこから無理の無い『物語』・『キャラクター』が
逆算で割り出される。
漫画家がしてほしい行動をそのままさせればいい
読者はそこまで深く考えない
読者にとって無意味だから
語るに落ちてる。
そもそもマンガ家がしてほしい行動を反映させたのがキャラクターであって
ならば自然とキャラクターの意志はマンガ家と同調するに決まってるだって作者が描いてるんだぞ?w
他はただの蛇足で下らんな
そうじゃなきゃ嘘臭くなるからそうせざるを得ないだけ。
ストーリーのためにキャラが行動した瞬間、途端にその作品はヤラセ臭いホラ話になり読んでいてしらけてしまうだろう。
とにかくキャラは自分なりに考えて動くってこと。
どんなに馬鹿なキャラでも馬鹿なりに思うところがあって馬鹿な行動に出るわけ。
どんなに混乱して思考停止してたとしてもその時にそのキャラなりにやろうと思ったことしかしない。
動機あってもラストまで行かず挫折する
そのキャラの動機に見合ってないんかな
それともプロットが問題か
全体がダメかorz
具体的な事が分からないからハッキリした事は言えないが、登場人物の動機付けに困った時は、その登場人物に取らせたい行動とは全く逆の性質を持たせると何とかなる事が多い例えば、最後に危険を冒して他人を助けさせたいなら、以前に、危険を冒すのが怖くて他人を見殺しにした過去を持たせるとか、臆病な性格で、それを治したいと考えさせるとかね
現状で主人公と用意している話が噛み合わないと思うのなら、キャラ設定を足すか、主人公の周りの環境を変えてあげるといい。
後は自分が何を描きたかったのかを改めて考えてみると、変えていい部分と変えたらダメな部分が見えてくるはず。
ネタバレになるからあまり詳しく言えないが、偽伏線が物凄く魅力的に描かれてるから、真伏線に気付かない
(と言っても既に色んな所で情報出てるからあまり隠しても意味ないか)ちなみに真伏線、偽伏線とはおれの造語
そうやって聞きかじった知識を並べて偉ぶる事こそ誰でも出来る
そんな負け惜しみはどうでも良いから、早くもっとレベルの高い分析を書け
それが出来ないなら謝罪するか、黙って消えろ
ほんと気持ち悪いわ、こういう奴
こいつの言ってる専門用語に、知らなくてはいけない様な物何て一つも無い
と言うか、そもそもシナリオは専門用語で作るわけじゃないから、専門用語を知ってるかどうか何てその人の資質とは全く関係無い
こんな頭の悪いイチャモンをつけてる時点で、こいつが素人以下のゴミだって事が良く分かるまあ、三幕構成ぐらいは創作者同士で会話する為には知っておきたいが、重要性何てせいぜいそのぐらいだ
多分、糞専門学校を出て、どーでもいい専門用語の知識だけ身に付けたバカが、レベルの高さに発狂しちゃったんだろうな
「糞専門学校を出た自分が2ちゃんレベルの話についていけない何て、そんな筈ないー!」…って
で、嫉妬丸出しのイチャモンを必死に繰り返したら、正論で論破されたもので、益々発狂して、「お前は専門用語を知らないに違いないー! 素人だからー!」と喚きだしたと
反吐が出る
悟空自身が憧れの対象。DB以降だよな親父の背中を追う設定って
変態、人を騙したり人の気を引くのが上手い、他人をまともに愛せない…。
で、こういうタイプって大抵幼い頃に両親に虐待されてる。
バンジーガムの由来が、ヒソカが子供の頃、貧乏で良く噛んでたガムだそうだから、ヒソカにもそういう過去があった(ってエピソードが出てくる)可能性は高い。
この漫画の悪役って幼い頃に虐待されてるパターンが滅茶苦茶多いし。ま、そこら辺は多分、シリアルキラーの本でも読んで研究したんだろうな。
ナルトのイタチがサスケのおでこをトンってするシーンとか
ああいう印象的なのは、構成力だけでなく本当思いつけるかどうかもあるなあ
つか、ワンピのビビ編って
ナウシカのパクリ過ぎてウケるわw
えー、どこら辺が似てる?
パターンにはめていく作業みたいだな
読者が納得してくれるパターンに合わせて調整する作業
やっぱり芸術というよりサービス業なんだな
一定の料金を請求するわけだから
前にブラックキャットが他のアニメや漫画をぱくった事で話題になったが、ぶっちゃけ、あの程度いくらでもある
ああいうので一々騒ぐ奴らってよっぽど漫画読んでないんだろうな
金ローでやってた96時間面白かったわー
まず、主人公の強さに説得力がある
元特殊部隊員対マフィアって構図のおかげで、主人公が圧倒的に強くてもこんな物だろうと納得出来るし、
基本的に敵は不意打ちや一対一で倒す様にしてるから、主人公にだけ理不尽に弾が当たらないって状況もない
倒し方も射撃の正確さや咄嗟の機転を生かした物だから、特に現実離れした感じもない
そして、主人公が敵を探し出していく手段の一つ一つにリアリティがあって、なるほど、特殊部隊員はこういう風に敵を追いつめていくのかと言ううんちく的面白さがある
筋書きもマフィアにさらわれた娘を連れ戻すと言うすごくシンプルな物だから、希求力が強く、客を画面に釘付けにする
物語の手本のような映画
例えばNARUTOの第1話だと、
イルカが殺されそうになった時に、ナルトが勇気を発揮して、敵の前に立ちはだかる
これが主人公が真価を発揮する瞬間物語とは、言ってしまえばこの瞬間の為にある
この瞬間をいかに捻出し、盛り上げるかが物語
ガンダムの第1話だと、アムロが自分の周りの人間達を虐殺していくザクを倒す為にガンダムに乗り込むシーン
ジョジョ六部の1話だと、あばずれに見えた徐倫が、悪徳警官達の悪事に正義の怒りを発揮し、能力を使って懲らしめるシーン
これが真価を発揮する瞬間
例えばNARUTOなら、ナルトが不良である事、里の奴らがナルトに九尾の妖怪を封印して忌み嫌ってきた事などを描いて、
到底、ナルトが誰かの為に戦う事何てしないだろうと読者に思わせる
だから、クライマックスで、イルカがナルトを強く思ってきた事が分かり、ナルトがイルカを助ける為に立ち上がるシーンで感動するいわば、泥で真価を隠す
これが重要
そして華
NARUTOの第1話で言えば、大量に分身するナルト
絵的に素晴らしい迫力がある
ガンダムの第1話なら、立ち上がり、敵を倒すガンダム
問答無用の格好良さがある
読者の盛り上がりに応える華を用意する事
過去のゾンビ物を研究した上で、決定版を出してきたって感じ見ていると、ゾンビ物について色々考えさせられる
ゾンビ物の面白さって何かと考えると、
スリル、ヒューマンドラマ、戦略性、そしてアンモラル
この四つだと思う
ゾンビに追いかけられるスリル
極限状況下で描かれる人間の強さ、美しさ
ゾンビの牙をいかに防ぎ、危機から脱出するかという戦略性
崩壊した世界で好き勝手に暮らし、人間を罪悪感無く殺せる楽しさ
ウォーキング・デッドにはこの全てがある
その場のノリや感情で後先考えずに動いちゃうタイプ
ビバップで言えばスパイクやフェイ
NARUTOで言えばナルトみたいな
キャラが面白ければ何気ないシーンでも面白くなる
逆にキャラがつまらないと最悪
盛り上がるシーンでも盛り上がらない
キャラがストーリーを作るのか何年経っても分からない
俺はキャラ優先じゃないと話が一切動かない
新たなキャラが出てきた時、そいつを起たせる為には、回想シーンでそいつのバックボーンを描くのが非常に有効ただ、回想シーンの入り方には注意点がある
それは、読者に『こいつは何でこういう事をするのか?』『こいつには一体どんな過去があるのか』と思わせる事
つまり、興味を喚起する事
それ無くしていきなり回想シーンに入っても、読者は物語の流れが中断された様に感じて、ストレスが溜まる
咲はこのお手本、と言うか、このテクニックを多用してる
試合中に、キャラが『ここで負けたら-』とか『その手は対策済みだ』とか考え、回想が始まる
バトル、スポーツ物だと、戦いが始まる前にキャラ立てを済ませておく物が多いけど、咲は戦いが始まってからキャラを起ててく
良くバトル物やスポーツ物だと、戦いが始まるまでが一番面白いと言われたりするけど、咲ではそういう事を感じないのはそれが理由の一つだろう
戦いの中で、キャラが深化していく
んなこと考えたことなかったわ
いい漫画ってすんなりテンポよく読めるから粗が目立たないんだよね
敵同士ながら、時には協力し合ったり、また、ある打ち手同士が潰し合って、他の打ち手が有利になったりする
ただ、この面白さを描いた麻雀漫画って、殆ど無い
大抵の場合、実質的に主人公とライバルの一騎打ちになって、他の打ち手はただの道具か、観戦者になってしまう
そう考えると、咲はえらいなーと思う
ちゃんと四人全員が勝利に向かって動いてる
時に潰し合ったり、協力し合ったり、足を引っ張り合ったり、出し抜き合ったりと、バトルロワイアルの面白さを描けている
(駆け引きその物は少々甘い部分もあるが…)
それで出来たのがサムチャン、スペダン何だろう
サムチャンの場合は、ビバップがSFだったから時代劇にしようって発想は分かるし、ある程度成功してたと思うが、
スペダンはどうにもビバップから変えようとして変え切れてなくて、結果、中途半端になってる気がするなぁ…また、ダンディのキャラがまずい
いかにもヒーロー然とした格好いい主人公はありふれてるから、他の作品では脇役になりそうな格好悪い主人公にしようと言う目論みは分かる…
が、目論みだけで終わってると言うか、今の所、数話を除いて上手く機能してる様に見えない
目論みは面白かったが、実現出来る力は無かったって感じ
やっぱり主人公には魅力的なバックボーンや、トラブルを解決する為の力が欲しい
スペダンのキャラって、全員それが弱いから、どうにも物語を作りにくい
群像劇として良く出来てるし、ゲーム世界物としても異世界召還物としても上手いこの作品には大まかに分けて三つのサイドがある
異世界での自分達冒険者の生き方や、元の世界に戻る方法を模索するシロエサイド
末端の兵士、冒険者視点を描くみのりサイド
冒険者と大地人の間をつなぐ姫サイド
こうして幾つもの視点が用意されてるから、世界観に重層性が生まれるし、あらゆる面白さが描ける
また、ゲーム物としても、ドラクエ的なRPGバトル的面白さと、シムシティや職業物的なシミュレーション的面白さ、システムを分析、応用して新たなプレイスタイルを創造する面白さと、様々な面白さが詰め込まれてる
また、恋愛要素が上手い事、物語にドラマ性や緊張感を与えている
この作品って、カップルとか片思い関係が物凄く多い
いわば好き好き矢印が作中全体に飛び交っている
それが場面場面において登場人物達の強烈な動機付けになったり、ドラマを盛り上げたりし、ちょっとした笑いも提供してくれる
>>841こそ作品の構造について語ったレスだろ?
お前みたいに専門用語を意味も分からずに並べてはしゃいでる奴って本当に痛い>>857
そもそも、糞ワナビーがここで行われてる分析評論のレベルの高さに嫉妬して必死に中傷を繰り返すから、レベルの高さに嫉妬したからって中傷するなと窘められてるのに、
「俺はレベルが高いとは思わないー!!」は無いだろ
しかも、レベルが高くないと言う根拠も、
‘その分析評論を読んで俺が抱く欲求を予知し、先回りしてそれに答える形になってないから’
…どんだけキチガイなんだよ
ワンポースとナルトがその例だと思う
レベルの高い分析でもない気がするレベルが高い分析ってもっと具体的で読んだ人が感心するもので
しかもこのスレ的には作り手として是非自分も真似したくなるような
手腕が書かれた分析だと思う
それは専門用語を並べることとも違うけど
作品を読み手として解説したものとも違うと思う
例えば「好きの矢印がアチコチに向いてる」なら
恋愛がゴチャゴチャした複雑な状態でも読者が混乱しない手法
誰が誰を好きでも読者がその好意に納得できるように
好意を持った過程をより共感しやすくみせる方法
主人公以外がモテても飽きないくらい他キャラも魅力的にみせる方法とか
書き手目線の分析があれば優れた分析じゃないかな?
照応、対比、伏線、暗喩、あらゆるテクニックが縦横無尽に張り巡らされている
作者である岸本は構成の鬼と言うべきだろう
それ以降は悪い方向に進化してしまったわな
というか10年以上やってされに引き伸ばされてるなら構成も糞もねぇだろ
ワンピースが異常なだけでちょっと感覚鈍ってるんじゃね
中二病に掛かると、メジャー、王道、全年齢向けの作品が下らないと思える様になり、マイナー、邪道、青年向けの作品が偉い、高尚だと思えてくる成長すると、そんな過去の自分を恥ずかしいと思う様になるんだが、こいつらは未だに中二病真っ盛りだから、そんな風には思わない
まあでも、世の中には確かに中二病向けの作品と言うのはある
例えば、ラノベなんかは大半がそうだし、漫画でも、ベルセルクやドリフターズなんかはそうだろう
こういうのはジャンプ的な王道パターンに、ちょっと捻りを加えたり、残虐性を加味しただけだったりするんだが、バカはそれでコロッと騙され、全く違う物だと思い出す
そして、一番騙しやすい読者って、こういう中二病オタクだと思う
こういう奴らは邪道、残酷でさえあれば割と簡単に有り難がる
数は勿論一般読者に比べれば少ないが、購買数は多いので、こういう奴らにターゲットを絞れば割と中小ヒットしやすい
短い物語なら、ちょっとした知恵や知識等、小さいテーマで良いが、
長い物語だと、世の中の真理や人間らしい生き方等々、大きいテーマが必要になってくる
ワンピースは大長編となったけど、連載当初は長編になることはおろか、
人気すら得られないだろうと思われてたし、過去をさかのぼっても、
壮大な物語世界が前提になってる作品って思いつかないな
封神演技は壮大だけど古典が原作だからな
大長編になったほうが結果的に安定した売り上げになるはずなのに、
なぜが最初から大長編を見越した新連載ってまず見ないよな
元スレ
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