いいデザインってなに??
まとめのまとめ
- 良いデザインとはなにかについての議論。(例)いいデザインかどうかは立場や業種によって、つまり視点によって変わる。機能的な良さ、商業的な良さ、普遍的に、多くの人に好かれるもの等の意見がある。
- デザインと美の関係についての議論。(例)いいデザインは「美しいデザイン」なのか。何をもって美しいとするのか。美とはなにか。日本と西洋の美の感覚の相違とは。
- デザインとアートの違いについての議論。(例)デザインは「解決」、アートは「問題提起」、デザインは「バランス」、アートは「信念」等。デザインの中にもアートはあるのか。
- そもそもデザインとはなにか。デザイナーの役割とはなにか。(例)デザインは目的に対して枠組みをつくる、ルールを作る、秩序を作るという「設計」という感じ。
- 「いいデザインとはなにか?ということを議論する場所があるということ」が一番大事といっていた人がいたが、個人的にこれが一番重要だと思った。
スレのまとめ
以前「いいデザインなんてないじゃん」ってスレをたまにみてました。
正直スレ立てた人に反発をもってましたけど、それ以外の人々の考え方が非常に参考になりました。
刺激的な意見だったと思います。
なくなって久しく、その刺激に懐かしさを覚えます。
なので、皆さん語ってください。
なんかデザイナーのその立脚する足下を探り合うような、
自分の存在意義を示し合うような。
そんな刺激的な発言を期待します。
なので、僭越ながらスレをたてるにあたり挑発するような発言をあえてさせていただきます。
「お前らの作ったデザインなんて、オナニーであって、全然良くないじゃん!!
反論するならしてみろよ!!」
よろしくお願いいたします。
「おまえらが考えるデザインとはなんぞや?」スレから引用。
“よく云うけど、
デザインは「解決」、
アートは「問題提起」。
その「解決」に対して>>1は先輩に「どうとでも捉えてください」と云うのは相手に問題を投げかけていることになる。
それじゃダメなんだ。
ロゴマークは言わば象徴とされるものではなければいけないし、そうであるための意味もなくてはならない。
それからお前のデザインは自己満足そのものでしかない。クライアントが望んだものが万人に受けるとは限らない。
デザインはなんでも好き勝手にやっていい自己主体ではない。
逆にアートであれば、疑問や何らかの感情を多くの人に植え付けられる事ができたら成功だ。こちらは自己主体で凡ゆるものが創造できるけれど。
このふたつの違いも分からずにやってるならデザイナーやめろ。
あくまでデザインにアートが混入する時はアートを解決に利用する時だけだ。”
>>1がどの分野のデザインを指しているかはわかりませんが、
デザインの根本は、「必要は発明の母」というように「発明」と「必要」に伴って生じた「解決」の手立てだと思います。
そこで、いいデザインとは、そのものの魅力を引き出し万人を自然と惹きつける力をもったものだと考えます。
自分の満足と客の満足を兼ね備えたもの
クライアントのリクエストに応えつつも
世のため、人のためになるもの。
デザインの技術だけでなく高いレベルの(優しさ、思いやり、配慮、愛、正義、道徳、倫理)も大切だと思います。
大企業が製造する物は上記のようにあって欲しいですが
インディーズから発信する物の場合は於是それを踏襲する必要は無い。
小さい頃に、あの、本当に申し訳ないというか
失礼なんだが、なんでこんなぐちゃぐちゃの絵が有名なの?
って思ったことがある。
でもいまはその人たちの個性が絵に表れてるということを経験した。
いまは、コピックや油絵の具。水彩絵の具とかいっぱいあるけど、
昔はその道具しかない。
そしてその限りないもののなかであんなすばらしい作品を。
素材の美しさを十分引き出すもの。
それがデザインだと思う。
デザインが飽きられてしまうと消えて行く運命にあります。
長年使っていても飽きの来ないデザインは、機能性が高いものが多いです。
機能美を追求して行くことが、自然と良いデザインに繋がる道だと思います。
機能美を伴う新しいデザインは、奇抜ではなく斬新と言うのでしょう。
最初から通して読んだけど機能美主義の>>6がずっと定住しているな。
100年間変わらないシンプルなデザインが美しいという小林秀雄的なやつな。
現実のデザイナーの仕事はパリコレのファッションカルテルだから。
女性用の水着やスキーウエア、女子中高生のファッションが典型だけど
毎年新しいデザインを出して「去年の水着を着て海岸に行くの恥ずかしいよね」
と宣伝して、毎年新しい服を買わせるのが、デザイナーの仕事。
100年同じデザインの商品を売って、同じ服を5年10年着られたんじゃ儲からない。
>>291>>292は デザイン=装飾 だと思ってる素人
>>296は根拠のない理想を押しつける宗教家
ってところか
>>297デザインというより工学的な発明の話。
相手にするだけ無駄。
>>310
本物の馬鹿だなw
日本のデザイナーの地位が低いのは着せ替えデザイン=デザインって考えで教育してるからだ
専門や美大は頭の弱い奴が通う
理系がデザインを考えて始めて良いデザインが見えてくる
デザインを先においての開発・設計するんだボケ
建築とか見れば先に完成図を見せてから設計やそれにあわせた開発もするだろうが
家電や広告の3流デザイナー共が口出しするな!
ソニーエリクソンのマークも洗練されてると思う奴は多い。
でも共通点を語ろうにも抽象的な話しにしかならないよね。
ぱっと見た瞬間に「あっいいな」って思うデザインはいいデザインなんだろうね。
いいデザインって立場と業種に寄って変わるんですけど…
>>8の意見は一般人視点
作る側の意見が聞きたいのか、グラフィックの意見が聞きたいのか、プロダクトなのか
はっきりしないとまとまらないと思う
考えたらきりがない。
他人の評価をどう処理するかって事でしょ。オナニーの仕方にもよると思いますけど。
機能美の極致は、戦争道具やら注射針の先っぽ等。って思ってしまいます。
ならば便器の形を変えてみるとか。
「機能美の極致=ハイテク」ではありませんよ。
便器の機能を考えた場合、
・コスト面を考えたシンプルな形状
・少量の水で流れる、節水を考えた形状
・飛び跳ねしにくい、汚れにくい形状
・掃除のしやすい形状
・座り心地の良い形状
など、色々ありますね。
結局政治家とか、アーティストとか、その時代に多数派工作に成功したデザインがいいデザインとして歴史に名を残すんでしょ。
機能的に優れてても、多数派工作失敗したら、または名のある人に評価してもらえなければ、機能的に優れてても評価されないしね。
お箸とかツマヨウジってほとんど不変なのに、あまり評価されてないし。
「俺が評価するぜ!!」って誰かが叫んでも、その人が無名で発言力なければ、きっと今のままだろうし。
もう一つ大事な視点は、
>>15さんも書いているが、
死人に口ナシ。という事実である。
歴史は、勝者によって語られる。勝者が語ったことが歴史となり
記録に残り、次世代に「事実」として残っていく。
勝者が語ったことが実際に「事実」であるかは別として。
例えば私は経験から、とても優秀なデザインをするデザイン会社の
社長さんが、会社を倒産させたのを知っている。何人も知っている。
彼らは、ある意味、理想主義者だった。
だから、クライアントの要望に答え、自身の理想も貫き、
結果としていくつもの素晴らしいデザイン物を納品してきた。
しかし、採算を度外視しているため、会社はつぶれました。
彼らのデザインはもう、世の中には出てきませんし、
彼らはもう雑誌にも乗ることはなく、言葉が残ることはないでしょう。
(個人的なブログで発信とかできるとしても)
彼らはある意味、資本主意義社会の文脈で「死んだ」ので
かつて彼らと違う思想で働いた人間が
現在勝者になっていて、雑誌やTVやブログで、
彼らのことを悪く言ったとして(事実と違うことをいったとしても)、
かれらは反論できない。
残るのは勝者の言葉だけであり、それが歴史になる。
>お箸とかツマヨウジ
不変ってのは最高の評価だと思うけどね
不要なモノをそぎ落としていった究極のデザイン
必然性によって生まれたデザインで、これ以上無駄にデザインを加える余地が無いからね・・・
それとも駄作になる危険にさらされていることを覚悟の上で、デザインを提案し、残った物がいいデザインなんだろうか??
俺は今言われてるデザインは、結局デザイナーが一番嫌う、政治的な成功をつかんでいる物だって思うけどね。
デザ辞めろ迷惑だ。
商用デザインの話をしてる訳だし、
アートじゃない以上、受け手に感じてもらう必要も無いので、
消費者や他業界の人にも理解出来る意見は言えるはず。
作り手から見た良いデザイン
クライアントから見た良いデザイン
子供から見た良いデザイン
老人から見た良いデザイン
色々あってまとまらんなぁ。
責めてもちっと狭めないと議論が深まらないと思ったのです。まぁ最初から過疎ってるけどね
仮にそういうスレ立てても、過疎るのは明確だしね
美人の定義と似てる
で、それは本能に刷り込まれていて、
それと生まれてから今までの記憶によって個人の美的感覚の大部分が形作られていると。
その記憶によって形作られた部分に美的感覚の個性が出てくるのではないか。
つまり、個人個人で好みの違いは確かにあるけど、共通する部分も多いかと。
それら個人の美的感覚の共通点の部分を多く刺激するものが
多くの人に支持される「いいデザイン」なんじゃないでしょうか。
そしてその共通点の部分を多く占めるのが機能性を見極めるために生まれた本能的な美的感覚だと考えます。
美的感覚の話になると「いいデザイン」と言うよりは、「美しいデザイン」の話になってしまう気がする。
まぁ、そもそもいいデザインの「いい」が何をもって良いのか、状況、形態、ボーダレス、あらゆるパターンに想定されるから複数答えがあるべきなのだけど。
それしかないでしょう。
いいデザインとかっていうのは制作者自身の考えからみた主観だから、制作者がいいデザインだと思えばそれでいいと思う。
そのデザインを作るのが、自分が向上を目指してる以上納得のいくものは作れないと思うんだけどね
使う人のことを考えてない
目的は物によって違う。
そこまで考えた上での良いデザインって難しいよね。
そういうものは自然でかつシンプルであるものが多い
呼吸しているものは素晴らしいものだ。
日本の木造建築は偉大だな
海外のも劣らんよ
まあ日本が最高なわけだが
サヴィニャックが言っていたが、
とことん突き詰めていいものが出来上がったとき、
もはや答えはそれしかない、と思えるものが出来上がるときがある、らしい。
答えはひとつしかないんだ、って言っていた。
たまにあるよね。もうこれ以外に考えられない、っていうものが。
それがいいデザインと思う。文句無く「いい」。
以上はあくまで、ここで議論のタネの提供だがね。
個人的にはいいデザインとは何かを生涯をかけて追求していこうと思っているよ。
いいデザインって、共通した答えはないよ。
デザインは哲学であって、デザイナーの主張だから。
私はこういうデザインがいいと考えてます。と
世の中と、クライアントにアピールするわけです。
共産党とか自民党とか公明党とかいろいろあるように。
で、世の中に、クライアントに求められている主張がその時代の
スタンダードになっていく。
勢力争いみたいなもんですね。
ただ答えはないのだけど、自分の中では考える必要がある。
自分の中にいいデザインとはなにか?という基準がなければ
クオリティをあげていく作業ができないからね。
さらに、できることとできないことがある。
理想を語っても、デザインは最終成果物があるのでね。
そこが哲学とは違うところで。
哲学なら自由に思考の翼を広げて、
理想の思想をどこまでも考えられる。
デザインは哲学なんだけど、納品物はありません、ではすまない。
物質化して、世の中に産み落とさなければならない。
現実的に自分にできるのかどうかということも含めて
考えなければならない。
例えばある人は、
消費物が喜び、クライアントの売上げも上がり、自分も満足できる
という3点を満たすのがいいデザインと考えたとする。
それは一つの哲学かもしれない。
—
でもある人は、現在の消費社会自体がそもそもおかしい。
本来デザインはもっと長く愛され、
使用や鑑賞に堪えうるものでなければならない。
そういう社会こそが、人間社会を豊かにする。
だからクライアントが喜ぶとか関係ないね。
売り上げがあがらなくてもいい。
消費者が喜び、長く愛するものになるようにすべてをコントロールすべき。
という思想になるかもしれない。
—
またある人は
デザインとは商業デザインであって、
資本主義社会という文脈で語られるのが大前提である。
そうならば、よいデザインとは経営と密着していなければならず、
経営方針と切り離せないものであり、
デザイナーは他社サービスや他社製品を請負制作するのではなく、
デザイナー自身が経営者でなければならない。
デザイナーは自身の経営する(またはオーナーである)会社の
自社サービス・自社製品デザインすることから始まるのが
大前提であり、自社のものではないものをデザインしている時点で
それはよいデザインではない。
という考えもありえる。
例えばアップルはこういう考えに近いものがあると思う。
またある人は
現代の多様化・高速化した社会において
デザインとは、それを使用する消費者の好みに合わせて
自由にカスタマイズできなければならない。
デザイナーの役割は、その枠組みを作ることである。
消費者が自由にカスタマイズすることで変化のスピードにも対応できる。
と考えるかもしれない。
その場合は、
カスタマイズされることを前提としたデザインになる。
消費者の声を吸い上げる枠組みも含めて、デザインとなる。
カスタマイズの余地を与えないものは、
いくらクオリティが高くてもいいデザインとは言えず、
カスタマイズした場合に、最適化されているものが
いいデザインということになる。
例えばこういう考えはグーグルとかなんでないの。
同じ考えならば、クライアントにチラシを依頼されたときも、
チラシを1パターン作るのではなく、
常に複数のデザインを納品し、クライアントに
ターゲットによって渡すチラシをかえてもらう、
という発想になるかもしれない。
そうなったらデザインの死だ
一番大事なのは、いいデザインとは何か?
ということを議論する場所があるということ。
これはサンデル教授の、正義とは何か?の授業とも似たところがあり、
大前提として「答えは出ない」。答えはないので。
答えは出ないことを、議論して、考えを深めていこう、
という文化や場所があることが大切。
欧米にはこういう文化がある。
しか日本にはこういう文化がないので、
議論には常に答えがあると思ってしまう。
答えのない議論に関しては、「で?」「だからなんなの?」で
終わってしまう。
この差が、いろんなところで出ていると思うんだけどな。
自分の経験では、デザインが優秀な会社にはこの文化があり、
デザインがダメな会社にはこの文化がない。
いい会社と悪い会社の差が極端に激しい。
>>67
>答えは出ないことを、議論して、考えを深めていこう、
という文化や場所があることが大切。
禅問答を例に出すまでもなく昔の日本にはそういう文化もあったんだよな。
つまり、歴史に残るデザインがいいデザインだ。
100年後も語られるデザインが、いいデザインだ。
という思想があったとしたら、
まずは、資本主義社会の中で、勝者にならなければいけない。
個々のデザイン物大事だが、
まずは何よりも勝者になることが大事なのである、
という考え方も成り立つ。
とかなんとかごちゃごちゃ考えていると、
やっぱアップルはすげーな、デザインの理想を体現してるんじゃないか!!
スゲーよジョブズ!!!!
歴史のなかで磨かれた「用の美」というモンだってある
アップルが凄いかどうか知らないが、Macで仕事してきたけど、
デザインはダサイといつも思ってたな。
スケルトンのやつとかG4とか、目先の奇抜さを売りにしてたから、
今も会社に残ってたりするとえれえ古臭く感じる。
目先の奇抜さを売りにしてはいないよ。
ビジョンがあったんだよ。
単に目先の奇抜さを売りにしている製品と
明らかな差があるじゃん。
俺は起動ボタンが後ろについたとき
正気かと思ったけど。
あと昔は爆弾マークも多かった。
でもビジョンがあったから
つみあがっているんだよね。
概観の見た目は人の好みによるが
相当素晴らしいのは間違いない。
あとGUIもwinとは比べ物にないほどいいし使いやすい。
winはその分拡張性があるという人が要るけど
それならLinuxほどじゃないし、中途半端。
MACはぬきんでてるよ。
>>72
それはマーケティングに踊らされている哀れなMAC信者の意見
でしかありませんね。
君たちこの言葉の意味わかりますか?
外観の美しさは内に宿るという言葉。
単純に外観が美しいという人がいるんだけど、そういう事じゃない。
たとえばmacの美しさの概念って操作方法をはじめモニターの中の世界なんです。
つまりそれをパッケージする物が外観であり、外観はただの箱でいい訳
です。
究極美は無なんですよ。
ジョブスの美意識は死ぬまで進化していたと言えるでしょう。
G3の時代との美意識と全く異なっていますからね。
これらの事に気が付くジョブスはやはり偉人だと思います。
フフフ
>>76
おれはデザイナーだよ。
外観の美しさは内に宿るなんて
基本中の基本だよ。
君ごときが調子に乗るなよ。
浅いんだよ。
インテリアデザイナーなら
自分のやったデザインアップしてみなよ。
たいしたことないだろおまえ。
>>77
君って猿山の猿と同じだよ。
力量を確認しないと本質を理解できない。できの悪い頭ですね。
私の周りにもそういうスネ夫体質はいましたけど、みなアートこじらせて
変な方向にいっちゃってね。
デザイナーと呼べる人が、「デザインやってうpしろ」などと言う人は、多分三流の
人だと思いますよ。
なぜならデザイナーという事を理解してないからです。
デザイナーで自分をPOPアーティストみたいに見せたがる人がいますが。
見てて恥ずかしくなります。
私は目立たず社会の中でひっそりと長く愛用される物を作りたい、ただの労働者ですよ。
何でもいいからデザインしろと言われても何もやりません。
こういう問題点があるから改善して欲しいだとか、そういった
具体的な事がない限り作ろうとは思いません。
なぜなら、人の役に立つ事で報酬を得て生きてる人間ですからね。
わたしは赤がいい色、あたしは紫だわ。
良いデザインはないけど、己を深めていくことで到達できる的な発言って、
結局今この場で良いデザインって言われても、俺は持ってないけど、どっかにあるだろうって発言だよね。
無いって言ってるくせに、心の奥底で存在を信じてるみたいな。
で結局
「このデザインは良いです。そう思わない人間はセンスがないです」
的な発言に結びついていって、集団オナニー状態を目指すしかないのでは?
もちろんそこにはターゲットの設定(年齢層、男女etc)とかも含まれてるわけで、
そもそも万人向けじゃない可能性があるから表面だけ見てもあんまり意味ない気が。
狙いを達成するためのアプローチの仕方とかも含めてデザインなんじゃないかと思う。
何かまだ発展途上のような気がしますが、何かを見つけようとしている感じもします。
「真夜中」とかパラパラめくってると服部さんのデザインが理解不能に陥ったりします。
100年後評価されるのかな。みなさんの評価はどうですか?
スレちだったらすみません。
「形態は機能に従う」って言葉があるように、ある機能を最大限に活かすような形がいいデザインなんじゃね
例えば、ただひたすら速く飛ぶという機能を追い求めていくと必然的に戦闘機みたいな形になるみたいな
自然本来の形を美しいと思うのも、それが長い年月をかけてある機能を達成させるための最適な形に進化してきたからなんじゃないかと思う
だからこそある機能についての最高のデザインって存在すると思うし、それを追い求めていく過程にデザイナー個人の思想なんて介在すべきではないと思う
ただ現実的には外部環境の変化や科学技術の変化によって最高のデザインも変わってくるんだろうけど
どうやら、違うらしいんだよね。
もっと高次な美があるらしいんだ。
そこまでは日本人では行けないんだって。
用と美の民族だから、そこどまりなんだ。
イデオロギーの問題でしょ。
バックボーンとなる宗教や哲学が日本には根付いてないからね。
デザインってようは簡潔な思考でもあるわけだから
対象の持つ特性を自らの思想に当て嵌める事で象ったり、あるいは思想そのものをデザインしたり。
ただ、単純な「美」に対する鋭さは世界一のレベルだよね、日本は。
そう、全くお話しその通りです。
それが問題の根本なんです。
イデオロギーというか、彼らの呼ぶ美という概念が我々に無いものなんです。
おっしゃる「単純な美」というのはよくわかりませんが、視覚的清潔さ或いは感覚的清潔さなら日本人は世界一だと思います。
しかし、それが美か?というと私は違うと思う。
異なる民族が文化を翻訳しようとすることの限界ですよ。
正に宗教なんです。
デザインしよう原動力ですら、
美という観念すら、
意味の帰属先ですら、
すべてが宗教なのです。
私が>>119で伝えたかったことです。
アートは信念
デザインって言っても色んなのがあるからな。。。
デザインは基本的に問題解決するにあたって必ず必要なもの。どの業界でも必要。
なので、いいデザインは必ず見栄えを犠牲にせずに目的を果たしているものだと思う。目的の優先順位によっていいデザインってのも違ってくる。
製品デザインなら使い勝手がよく、見栄えがいいもの。家具、電化製品、ソフトウェア等。
ビジュアルコミュニケーションなら一目で効率よく情報を伝えられるもの。広告、ロゴ等。
建築は詳しくないけど、無難な価格で素材、設計、水道パイプの配置とか??
それに加えてクライアントの主張もとりいれたり、3~5年後の事も考えてして設計したり。そんなんを色々考慮してちゃんと目的を果たしていればいいデザインだと思う。
>>94
だいたい出だしその考えでやってるよね今の日本て。
で5年くらいして「あれ?」て気付くよね。
それからはもうどうしようもなくなるよね。
>>94
NHKの勝間がナビゲーしてる番組で安藤忠雄が語っておる
「批判を恐れず 自分の思いを表現せよ」
うん。でもあれ?ってなるのは避けないと思うよ。色々業界の状況が変わるし、それで我々の仕事が続くわけだし。
うちの周辺で回されている回覧板は横幅が大きくて、大抵の家の郵便受けに入らない。
つまり回覧板を次の家に回そうとした場合、
直接次の家の人と顔を合わせて手渡ししないといけない様に設計されている。
郵便受けに入らないという不便さを生み出す事で
求められている効果をきちんと生むこの回覧板のデザインは秀逸だと思った。
いいね
それは考えても見なかった。それって考えて作られたのかそれとも偶然?
けれど何かを付加してるその時点でデザインそのものの存在価値は認められないと宣言しているに近い。
デザインは問題や課題に対して解決法の提案から始まり、
アートは問題や課題に対して主張や問いかけから始まると思いますっ(`_´)ゞ
どっちもとても大切な事。どっちも必要。
ある規範に基いて確立した美に人為的に付け足したとしても、それは美しくない
日本がやってもここまでだった的な結果が見えちゃったよ。これからまた途上国がおかしなことやってくんだろうけど。
木造やコンクリのハコモノ的なのはそう長くないだろう
でも新素材やハイテク制御でパラダイムシフトが起きれば
より自由度を増したカタチでいろんな事が出来るんじゃないかな
うん。
ただその方向が加速すると、建築がますます製品(モノ)化していくんだ。
建築家はそれだけは避けたいとしている。
自分を芸術家だとおもっている人たちも苦手である。ぼくはイラストレーターであり、子供の頃から
絵を描くことが大好ぎだったが、画家になろうなどとおもったことは一度もなかった。
小学生の時、ゴッホの画集を見ていて、自分の耳を切る話はまったく理解できなかった。
気味悪い男だなあとおもった。
絵を描いていると、インタビューなどでよく訊かれる。「壁にぶち当たったり、描けなくて悩んだり
したことはありませんか」、などといった質問だ。
ぼくは答える。「芸術家じゃありませんので、そんな恰好いいことはないですよ」
描けなかったり悩んだりするくらいならとっくにこの仕事はやめている。楽しいからやっているのだ。
自分を芸術家だとおもっている人たちのファッションも苦手だ。普通のシャツを着れぱいいのに
少しも似合わないマオカラーのシャツなどを着る。どこか普通じゃないことを主張したいのだろうか。
このマオカラー愛好家に何故か建築家が多いのもふしぎである。デザイン関係者にもこのマオカラー
ファンが多く、全国のデザイン会議などあると半分くらいがマオカラーを着て現れる。弁解して
おくが、マオカラーのシャツが悪いのではない。自分は普通じゃない、芸術家なんだといった輩に
魅入られてしまったのが不幸である。マオカラーには同情する。
人前で絵を描いたりするのも勘弁だ。ワークショップなどはぞっとする。人前で音楽に合わせて絵を
描くなどは死刑に等しい。もしも肉親がそんなことをしたら自殺するだろう。(イラストレーター)
よく考えられてるなって思えてどこか心地よさのあるデザインがいいデザインだと思う。
アートはオナニー。そこには画家と共感者がいるだけ。
>>110
ちょっとおかしいかな考え。
理解したい思いから解釈を急いでない?
アートが乃ち自慰とは違うでしょう。
デザインもアートと遠くない。
アートという文化圏の人がした設計なんだよ。
アートって本当に在るんだよ、日本に本当に“道”が在るようにね。
どうして日本に設計って言葉があるのにも関わらずデザインという言葉を使うかを考えてごらん。
僕はそれを「元来は無かった感性」と言いたい。
つまり君がなんとなく理解し難いことは、それで自然で適したことだと考えてる。
クライアントがいれば、デザインだって産業の一端となる
売り上げアップとか、知名度アップとか、好感度アップとか
クライアントの目的を達成するデザインが「いいデザイン」
自分の思いをがむしゃらに詰め込むだけなら幼児にだってできる
普遍性を全否定するつもりは無いが
感覚に頼る「良い悪い」なんて時代や地域、趣味嗜好で180度変わることもある
いわゆる「流行り廃り」って奴だ
俺が言いたいのは>>112
地域で180度変わるというのは一理あるね。
デザインというものがこの島民にはわからない。
だからこういったスレッドが立っているんだものね。
そりゃあ、商業デザインの範疇やね
植物なら品種改良、わびさびが原種にはある
だとしたらいいデザインではないと思うよ。
例えば毎日大勢の人が触れる日用品に求められる良いデザインとは「老若男女問わず全員が好んでくれるもの」だよね。
つまり、子供しか好まないデザイン、女性しか好まな(以下略)は、良い悪い以前に好ましくない。
だから男が嫌うピンク色、老人が嫌うビビッドな色彩、等々その他多数の好ましくない要素は徹底的に排除していく。
そうして生き残るものが、少なくとも誰にも嫌われないデザイン、つまりシンプルやミニマルといったもの。
これらの中でも特に趣向が凝っていて美しいものが良いデザインだ。
実用のために作られた、大衆のためのデザインのこと。
装飾のためのデザインの話は一切していないよ。
デザインの源流となる宗教について勉強してみるといいよ。
宗教で必要とされるデザインと、日用品で必要とされるデザインは全く違うというのが小前提
116はただの衒学趣味、というのが結論
全然ちがう。
宗教で必要とされるデザインなんて話しじゃない。
どうしてデザイン文化(産業)が生まれるのか、その大元には何の働きがあるかについて述べている。
別で例えば、戦争はどういった根本要因で起こるかということ。国益でも大義でもない。
それに、宗教と日用品を対峙させるのもおかしい。
すべてのデザインは必要性によって生まれる
どんなに素晴らしいデザインであっても、必要とされなくなった時点で寿命を終える
だからこそ、どんな時代・環境でも必要とされ続けるデザインが望まれているし、
そのためには普遍性が必要、時代に合わせて変化できる応用性が必要だと思う
他に言うことはなにも無い
デザインは問題に対する最適解。
アートは問題に対する提案。
デザイナーの僕はそう理解してます。
その最適解が結果消費者に提案として受け入れられることを目標にしています。
(キャッチボール外ぎみですが)
両者は全く別物だよな。
>>127 全く違うというほど全く違うんでしょうか?似てるんじゃないかと思います、特に日本では。
アートやってる側はアーティー(アートっぽい)とアートを分けたがるほどアーティスト性を保つ大義があるので全く違うと言わざるを得ないといったことだと理解してます。スレの、いいデザインとは?の問いから考えたデザインやってる側としてはアートも近いと感じます。
デザインは設計によく似ていますよ。少なくともアートよりは似ています。
それはつまり、デザインがものの形状や模様を決めるだけのものでは無くて、
質感や重さ、耐久性、値段、使い易さ等も決定してしまうものだから。
だから、ただ美しいだけのものは(大抵の場合)高額で使いにくいものになるし、
値段が安くて耐久性のあるものでも、質感が悪かったら台無しに。
ただし平面的で二次元なもの(壁紙・ロゴマーク等)は例外で、
これは模様しか無いものだからアートに近いね。これは認める。
>>130
おかしなことを言うな。
デザインの日本語訳が設計だ。
それと平面ならアートだと?
おまえおかしいんじゃないか?
とりあえず5周してこい。馬鹿。
自分の意見を乱暴にまとめると、合理的設計にとって装飾は無駄であり、同時に芸術も不要
合理的じゃなくて良いもの(壁紙の模様等)にだけ芸術的装飾が使われる、といったところ。
「合理的設計こそが真に美しく良いデザインだ」という立場からすれば、
非合理的な装飾をデザイン(設計)のうちに含めるのはあまり良い気がしないんです。
装飾ばかりに気を取られるデザイナーの多さには閉口します。
それと今までありがとう。汚い捨て台詞もスルーして欲しい。
設計はプロダクトやインダストリアルデザイン、建築はもちろんウェブにもアートにもあと2次元にも伴います。知られているとこだとアップルのロゴは秩序だった幾何学設計から形をなしています。僕の理解では設計は最適解を出すための方法論の1つです。
装飾、壁紙などのサーフェスデザインは無駄どころかかなり必要なものです。主に心理などに深く影響する視覚作用があります。もし無駄なのであれば動物の模様が説明つかなくなります。
日本にもあるよね。
古代ギリシャの大理石像を彩色するのがデザイン
それを真っ白に磨くのがデザイン
違いを楽しむ人の・・・・・・
マジで犬猿の仲だな。
「原理的思考」と私は言いたい。
問題の根本を見る力が無いんですねお前には。
もしくは直視を避けているか。
認めたくないのですか?不都合な道を歩いてきてしまったことに気づいて?
>>149
アナログ時計の目盛りは最低60個。照明はほこりが付きにくく、衣服は洗濯しやすく丈夫。
デザイナー(笑)なんてこれさえ守れない奴ばっかりだからな。おまけに無駄に高い。
美のためにこれらを犠牲にするのは構わないが、それらを良いデザインだとするのはやめてくれ。
本当に良いデザイナーってのは、例えばブローニングのような、
実用的で、革新的で、それでいて美しいものを作る設計者のことなんだよ。
美しいだけのデザインならただの芸術作品と同じ。しかしそれなら絵画を飾る方が賢い。
たとえば「国家の品格」という本によると
日本人の「もののあはれ」、即ち人間の儚さや悠久の自然の中で移ろいゆくものに
美を見出す感性というものは、向こうの人は理解しがたいものとある。
もちろん例外もあるわけだけど、「もののあわれ」に相当する英語も近い英語も存在しないそう。
セミやコオロギの声に趣を感じ、バックミュージックとして聴くことができるのも
日本特有のもので、西洋人にとっては虫の声はノイズでしかなかったりするようで。
そのように古から自然と調和し、心を通わせる事ができる日本人と、
征服するべきものでしかないという捉え方の西洋人間で生じた差だということなんだと。
これに伴い日本には神道が生まれ、謙虚さが生まれた。
このへんを参照。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=230612
まあ、無いものに魅かれる人間の性を考慮しても
逆にフリーダムすぎて実利主義であるために、思考が軽薄になったツケが回ってるのは
間違いないとおもう。
ただ、そもそも西洋的解釈と日本の美的感覚が同居できるのかがそこはかとなく疑問だ。
近年の萌えイラストといった様式に見られるような
デフォルメの傾向性なんかは、まさにあなたの仰る視覚的清潔さが偏った形で出ているように見える。
しかしこれも思索や追究といったものが無いため、大量生産用のハンコでしかないんだよね。
概念的なことしかかけないけど、
つまらない横槍が入ろうがこういう話はどんどん展開させていくべきだと思う。
抽象概念を体系化できる人って実はけっこう限られてるし、
よければあなたの話ももっと聞いてみたいところ。
ましてこの話はデザインに限らず表現と名のつくあらゆるジャンルに適用できるので。
自分もこのへんの研究に関してはまったくの未熟者だから、
西洋思想を一から学ぼうと思っているよ。
>>151
ハンコという言い表しかたも面白いですね。わたしはそれと同じことを自分なりには、記号性と呼んでいます。
萌えイラストは詳しくないんですが、そういったデフォルメについて考えるとき、私は浮世絵を参考にします。
美人画で描かれる二人の娘、お藤とお仙とは、顔が判別できないほど全く同じに描かれているのです。
これは美人という“記号”なんですね。
こういう捉え方が日本には古くからありますね。
ところで、彼ら西洋人が日本を理解するにあたって最初にしたことは、神道を基とした民俗研究です。
私たちもそれに習えば、西洋思想を研究することは、彼らの文化を見通すのに何より適した方法でしょう。
>>162の訂正
>>151
すまん、「ハンコ」とはデフォルメのことを指して呼んでいるのではないですね、勝手に誤解しました。>>162で書いたことは間違いなのでスルーしてください。
書き易い鉛筆が三角柱・六角柱・円柱であるとか、そういう基本的なこと。
ダヴィンチ曰く「シンプルさは究極の洗練」という話。
高次の美ってのは既に完成されているものなんだよ。
何が高次の美だよ。
いまの主題は機能美と様式美という二大美意識以上の美が西洋にはあり、
そのルーツを辿ろうという話だろうに。
>>115-119で完結した流れを繰り返すなよ。
>>157
哲学者みたいだとは何を言い出すんだ一体。
哲学によって美は確かめられ、その法則が導かれたんじゃないか。
君のすきな幾何学もそこからじゃないか。
ちなみに君の言う基本形も原理思考の所産なんですよ。
それが高次の美だ?君はここまでの話しが分かっていないのか。
デザインと美を同軸で考えないのならどうしてこの国でデザインという言葉を使うんだ?訳語があるにも関わらずですよ。
君にやらせても設計はできるだろうが、デザインはできない。その弁論が本気ならね。
君はこの話しが全然わかってないんだよ。
そしてこの話しの価値も見えていない。
それと最後にひとつ、>>154が述べているようにだ、
今までの議論進展を巻き戻すな。
それじゃあスレタイを改めるべきだな。
「美しいデザイン=いいデザイン」ではない。
なのになんで美の話をしてるんだ?芸術関係のスレなら腐る程あるというのに。
>>155
なんか混乱してないか?「美しいデザイン」っていうのは
それこそ単なる感覚的な美意識に依存してるわけで
宗教だの哲学だの唱えてるやつはそういうレベルの事を言ってないと思うぞ
デザインとして思想が具現化されてて、その思想の内容を理解した鑑賞者がある種の美を見出すって話だろ
それに視覚効果を用いて一定の意図を共有体験させるという点では
デザインもアートも同じ、そう言いたいわけだろ
まあいいや。批判の内容は聞かなくてもいい。
俺が「衒学趣味乙」と言ったのは、デザインと美を同軸で考える人間が居るからだな。
美的感覚なんて曖昧で、身近なものよりエキゾチックなものの方がより美を感じやすいし、
そんな美を参考にしても奇抜に走るのがオチだろ、という考えなんだ。
しかし、本当にお前ら哲学者みたいだな。なんでこんなナンセンスな議論を楽しめるんだよ。
結論なんて出ないのにさ。
古代のミロのビーナス的な身体と現代のアスリート的な身体との美的差は人類の欲求でデザイン欲求とも似ていると思います、
同じとは思いませんが。
基本的に形骸化の象徴
美には普遍的な定義はない。偏在である。
しかし人間はエキゾチックなものに美を感じやすい。
だからデザイナー・アーティストの作るものは奇抜になりやすい。
以上、これより語ることもなければ、繰り返すこともない。あとは濁さず立ち去りますよ。
>>164
最後にひとつ伝えておきます。
私は君にわかってないと言ったけれども、
本当にどうしてもわからないのだろうと思うんだ。
そして、それこそが正に君が日本人として、大げさに言えば民族としての、健全で自然な知覚をしている証しでもあるんだ。
どうか自らのそれを侮辱はしないでほしい。
さよなら。
>>164 美には普遍的な定義はない。偏在である。
数学的な絶対解な幾何学や黄金比とかは美の普遍定義1つだと思っていました
そういえば向こうでは
人間は神の創造物であるから失礼にならないように~とかの理由で
人間を描きたくば可能な限り厳密で忠実な姿で描くべきだ、みたいな考えがあると
どっかで聞いたな
だから日本みたいなデホルメよりもリアル志向のクリエイトが多いのも当たり前か、的な
向こうならではの思想ってそういうことかな?
てか、この中でデザインを正しく理解できてるのって何人いるの?
食物に対する好み(味覚)、何を好きになるのが正しいのかなど、「人それぞれ」と
我々が思ってる全ての概念を客観的な「正しい・誤り」「良い・悪い」で提示して
くれないかな?おそらく「全ての価値の優劣は私が知ってる」というような天才は
いるはずだよ?そうなれば安定した世界になると思う。それが俺の理想の世界。
バカというのは自分を持たないのに肯定否定だけは一丁前に行う生物なので
貴重な時間を費やしてそのような連中の価値観を揃える価値を見出せないだけ
そして素養のある奴は説明されなくても知ってるので彼ら同士その前提で話をする
やはり全て客観的に評価できるって事だね?早く発表して欲しい。
人それぞれなんてウソだよな。
まずはあなたの好きなデザインを一個、ジャンルは何でもいいから言ってくれ。
好きな食べ物とかも差し支えなければ。自分もそれを「好き」という事にします。
そう。バカって持論も信念もないのに是非を言いたがる。
だと思ってるんじゃないかな?そうでもなきゃ、あんな主張はできないよね?
ってのが日本にありがちな権威主義で それにあぐらをかく権威も一定数いるわけだけど
たいていそういうのは中途半端で本当にわかってる奴は定義として広めようともしない
なぜなら美に至るプロセス・成り立ちこそが肝心なのであって
それを把握しないとその美を理解したことにはならないし関心のある奴は自主的に学ぶものだと知ってるからだ
目の前の箱で探し当てた情報や文献を通して一見遠回りに思える学習のほうで自分が積みあがっていく
能力ある人は目的意識や知的好奇心で満ちてるからそんなことを当たり前にやってる
さして重要と考えていないどうでもいいことを人に尋ねたり直接的な回答を貰うことで解決するから
時間も温存できて効率が良い
「悪い」を自由に感じていいのですか?という事。上で言われてるような能力のあるプロたちの審美眼や
価値観と照らし合わせてそれとズレていれば、自分の感性や価値観を矯正したほうが
いいですか?という事。今自分の目の前にあるパソコンも「好きな色」「デザイン」
を選んだんですが、それに自信を持っていいですか?という事を聞きたかったんです。
見る側に素人も玄人もない。
ようはそのデザインが「何を指し示すのか」ということ。
「何(意味)」は素人でも玄人でも見える。
それががはっきり見えている(そしてそれの指し示しかたを心得ている)作り手を「プロ」という。
どうだろ、見えてないこともあるとおもうよ。
程度の問題だろ
ああ、素人はイコンとしての評価、価値に無頓着に反応するからな
何を良いとして悪いとするかは自分の方向性次第だし
何もわからない人間にとって好き嫌いがすべてなのも当たり前
いわんとしていることは分かるw
脳ミソこねこね
な気分になるデザインだわ
>>210かな?脳みそぐにぐにっていいね。
使ったり聴いたり嗅いだり食べたりする身体と
感じたり観たり考えされられたりする心の
両方を健康を支えられるのがいいデザインだとおもった。
いいデザインとは
人間と人間が見てる世界の間にあるもの。
切り口が違うだけで、根っこはアートと同じですな
広義のデザインは目的に対して枠組みをつくる、ルールを作る、秩序を作るという「設計」という感じかなと考えている。
目的達成するために計画をたてる、体系化するといった感じでもある。
当てはまる言葉はいろいろあるなー。
狭義のデザイン、スレの芸術デザインとかグラフィックデザインとかの◯◯デザインの良し悪しはさらにいろいろな価値観があるんだろうね。
このスレ面白いから、もう一回盛り上がって!
感覚とかふわふわしたものじゃなく、プレゼンでちゃんとした説得力のあるもの。
>>218
風水
黄色は金運とか赤は健康、ピンクは恋愛とか。
水や空気のようなもの
其処にあることすら感じずそれ以外の何物でもないもの
意識できないデザインこそが良いデザイン
>>224>>233みたいなのが典型的な「何か言ったつもりの素人」だよ。
点字ブロックや避難誘導灯みたいに、その存在自体が人の注意を喚起する宿命を持ったものなんて枚挙にいとまがない。
もっとも一般人はデザインされたオブジェクトの持つ意味を読み取れないのが普通。
快適か不快か感覚で判断するだけ。
>>242
頭悪いな
点字ブロックや避難誘導灯の必要ない設計にするって意味だよ
見えないデザインの云わんとしている事はわかるけど下っ端デザイナー相手には無理な話
それらを出来るのは企業家や建築家や都市計画を立案できる人間だけだ
なんだこのスレに張り付いてたのか…
キモイ奴だな
じゃあデザインを考える具体的な話として>>246
>点字ブロックや避難誘導灯の必要ない設計にするって意味だよ
を掘り下げていくか
これはどういう完成形を目指してるのか詳しく解説してくれ
必要がないというのは、まず設備を撤去するだけか?
それとも代替の設備に置き換えるのか?
>>224と>>242の論争という文脈の中では対立している。
目立たない物VS目立つ物。
どちらも機能だと言えば、そうだけど。
>>294
>目立たない物VS目立つ物。
>どちらも機能だと言えば、そうだけど
機能主義を「目立たないもの」と考えるのは誤解だ。
デザイナーに憧れる学生くんが多いのかな
富士山の空気の缶詰
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1374692.html
赤瀬川原平「宇宙の缶詰め」
http://page.freett.com/ohnopage/kyo_uchu2.html
ウォーターデザイン
http://waterdesign-wd.co.jp/
>>224からの流れを整理すると
バウハウス的な機能主義のシンプルなデザイン
VS
周囲に注意を喚起するデザイン(点字ブロックや避難誘導灯)
前者の典型はシステムキッチンで、普通にガスコンロや冷蔵庫買って置くと
凹凸が発生するのを、最初から特定のコンロや冷蔵庫を置くくぼみを台所に
持たせることで、凹凸のないシンプルなデザインになる。
装飾のないシンプルな外観、
デザイン(装飾)していることを意識させないデザインをほめる前者。
それに対する後者側の批判は、目立たせることを目的としたデザインも必要ですよ。
点字ブロックはむしろ建前で、現実の仕事としては、派手で下品なデザインが
悪目立ちして売れることがあるわけで、企業からの依頼が悪目立ち目的だと
プロとして依頼者の指示に従うしかないでしょと。
族車や旧車や改造制服が典型ですがバウハウスじゃ金に成らないという
現実の話をしていると思う。
ちょっと待て
「機能主義」と「点字ブロック・避難誘導灯」は全く対立するもんじゃないぞ
存在感を消すのも出すのもデザインの必然性から導き出されるべき結果だ。
必然性を突き詰めたそれは真理に近づき人の意識から隠れていくんだよ
こいつは >>233 ファンタスティックバカ
所詮西洋的価値観が理解できない弱者デザイナーの掃き溜めってことがよくわかる
かつて存在したが設計思想段階でそれらを廃したものは目に見えず
それが当たり前の時代・世界に育った人間には意識できない
ありもののデザインを組み合わせたりクライアントの要求を聞いて仕事する事が多いから頭が固くなってる人が多いね
製造工程や技術的なアプローチから入らないと無理だし
そういったものは大抵研究者や技術職の人がデザインに興味もって作り上げる
それでも敢えて言おう
至高にして究極のデザインは目に見えず意識できない
完成されたデザインにアピールすると言う概念は必要としない
無駄で余計な所作が思考に染み付いているから品性なくアピールなどしているのだ
どんな仕事してるか知らないけど
革新的なデザインを実践できる人は一握りですから
バウハウスを語る(騙る)人は多くても実践出来てるのって気もしますしおすし
全く違う
全てを無くすことを前提にデザインしていく思想こそが良いデザインの根幹
点字ブロックがあるなら
点字ブロックがなくても迷わないデザイン
或いは人工網膜や遺伝子治療で盲人を無くす社会のデザイン
避難誘導灯がなくても避難経路がわかる建造物の設計
もしくは避難する必要のない社会のデザイン
もっと大局的に見ろといってるんだよ
小物共が!
それに対して反証することで良いデザインを探ろう
こんなもの大学で教えたり学んだりするものじゃない。
数学的発想でやってるつもりだろうが、微積分も出来ない連中
にそんなことやっても無駄。そもそも教えてる連中も頭悪すぎw
まぁお絵かきの延長線w
デザインは科学ではなく教えるものではないと言いつつ微積分云々といい…
とりあえず貴方の頭が悪い事はだけよく判ったw
何言ってるんだ?
全然、矛盾してないんだが?
数学的発想でやってる「つもり」←数学的ではないことを述べている。
微分積分も出来ない連中←明らかに数学的ではない連中と述べている。
教えてる連中もアホ←事実w
お絵かきの延長戦←自明な結論。
終始一貫して科学では無いと述べているけど?だから大学でやるような
ものじゃないと言っている。
多くの場合で提出して際にクライアントが満足したもの…
では無い
予想以上に多く売れたもの
メディアで「良いデザイン」として取り上げられたもの
GOOD DESIGNE章を受賞したもの
国際的な賞なら価値はあるけど
国内の賞とかは全然アテにならない
身内で賞を譲り合ってる村社会になりさがってるし
素人が口挟むなよ
良いデザインとは機能美ではないでしょうか?
下手に飾ったデザインよりも先ずは性能機能が最優先されるべきです。
例えばいくら色や形がかっこいい傘でも雨漏りしたりすぐ壊れてしまっては元も子もないですよね。(笑)
完成度が高ければ高いほどいつまでも廃れない
純粋藝術と勘違いしてない?
デザインには機能がつきもの。
その機能が必要でなくなった時、デザインは意味を失う。
斬新さとしっくり感の融合
これ以上足すことも引くこともできない絶妙なバランス
いいデザイン=人を動かせるデザイン
だと思ってる。
そもそもデザインの定義がバラバラすぎて
議論にもなってないな。
今は、意匠する が強すぎると思うな。
歴史的にみても、「ルックスがいい」が含まれないと、デザインではないと思うんだけど。
だからドリブルデザイナーは無し。
抜き去る姿まで意匠するなら有り。
デザイン建築は、貴重なコレクションだろう。高めの。
実現する街をつくるのも楽しいかもね。
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